新田太郎 戦後ニッポン「ものづくり」流行史
 
第16回
やっぱりお米が好き〜人造米と強化米
1 カロリー不足・ビタミン不足
 1953年(昭和28)、にわかに脚光を浴びた食品がある。「人造米」と「強化米」である。
 「人造米」とは、小麦粉、澱粉、米粉を混ぜ米粒状に加工した食品で、米と混ぜて炊くことによりカロリーを補うものであり、一方「強化米」とは、米に高濃度のビタミンを含浸もしくは噴霧した食品で、米に加えて炊くことにより栄養分を補うものであった。
 前者が米の量の不足、後者が米の質の不足を補うという異なる指向性を持つ2つの製品が、同時期に注目されたのには理由がある。
 第二次世界大戦後(1945年)、国民生活の安定を目的とした食料の配給制度が実施されるなか、米の供給量不足を補うため国策として進められた粉食奨励運動――穀物、特にムギ類を製粉し加工した食品である、パン、うどんなどの奨励策は、国民の米食に対する強い執着により進展しておらず、大部分の家庭が割高なヤミ米を購入したため副食品にまで支出が及ばず、脚気や貧血を患う国民が増加していた。
 そこで、52年に「栄養改善法」が成立し、53年にはビタミンB1を補強した「強化米」が徐々に出回り始めた。しかしこの年は、大雨や台風などが重なり、ただでさえ不足していた米の生産が大打撃をこうむった年であった。
 国は、タテマエとして米の配給を維持する必要があった。そこで配給米の不足をカバーする食材として研究が進められていた「人造米」に注目した。ヤミ米の値段が高騰するなか、人造米は消費者側の感心を集め、生産者側もこの市場に次々に参入していった。
 生産された人造米の中には、先行して注目を受けていた強化米にならい、ビタミンやカルシウムなどの栄養成分を配合した「人造強化米」とでもいう製品もでた。こうした製品は、オリジナルの強化米としばしば混同されて認識された。
 米に不足するビタミンを米自体に加えていく「強化米」が生産されてからまもなく米自体が不足し、カロリー不足を補うため「人造米」が注目され、そこにかねてから必要が求められていたビタミンなどの栄養分が加えられた製品が登場したというわけである。
2 「新しい主食」、人造米
 穀物粉を米粒状に加工する人造米の研究は、戦前から行なわれており、1947年(昭和22)には、サツマイモを原料とした製品が人造米として市場に出回ったことがあったが、米に混ぜて炊くと溶けたり、米と分離したりする問題点があり、普及には至らなかった。
 これに対して、52年ごろから製造が本格化した人造米の製造法は、米の食感の再現に配慮したものであった。小麦粉と澱粉、米粉をそれぞれ、5〜4:4〜5:1の割合で配合し、加水して練った生地を粒状に加工し、その表面に熱を加えてから冷却することで表面をコーティングするという製法で生産された商品は、米と混ぜて炊いても、溶けずによく混ざった。この商品は、以前の欠陥のイメージがあるため、「合成米」という名称で販売された。
 『朝日新聞 東京版』53年の7月2日の特集記事、「新しい主食 合成米」に、東京都葛飾区在住の主婦が合成米に対する手記を投稿している。その一部を引用して、人造米が普及した当時の状況をうかがってみよう。
 現在、私の家は一日おきに給食のある小学生と外で昼食にパンを食べる勤め人のいる5人家族です。夕食には1、2日おきにメン類や残ったご飯を食べていますが、お米はどうしても月3升は不足します。米屋の店先に合成米のビラが貼ってありましたが、別に気にもとめませんでした。
 ところが、いよいよつぎの配給を受取るまでの不足分のヤミ米を買おうと、値段を聞いたところ1升250円とのこと。ささやかな暮しではとても買えませんので、思い切って合成米を買ってみました。
 米屋では米7合と合成米3合ぐらいの割合で混ぜれば、ちっとも変わらず食べられると聞きました。私の家では、いままで内地米5合、外米2合、麦2合を混ぜていましたが、内地米の1合を減らして合成米を混ぜました。子供たちは、これまでと同じように食べています。毎日1合づつ合成米に代えていけば、ヤミ米を買わないですむようになるので大助かりです。(中略)こうした“新しいお米”を普及させることによってカツギ屋をなくして、明かるい日本にしたいと思うのです。
 この記事から、ヤミ米の価格の高騰により、主食である麦を混合した米飯に、さらに合成米を加えるという状況が東京の一家庭であったことを知ることができる。
 朝日新聞の取材によると、投稿者の家庭は、2年前に死亡した夫の間に、子供が7人おり、うち、最年少の小学校4年生の男子は病弱のため養護学校に寄宿し、16歳の女子は入院中、長男と次男が勤めに出ており、このほかに小学生が2人いるという構成であった。同居している4人の子供のうち、勤め人2人の昼食はパンであり、2人の児童は隔日で給食を得ていたわけであるから、一日9合の混合炊飯は、現在の感覚からすると多いよう気がするが、逆に穀物に依存した食生活を想像できる。夫と死別し、体の弱い2人の子供を抱える人物によって書かれた文章なのに、全体を通した前向きな様子が妙にすがすがしい。
 この特集記事では他に、当時、合成米メーカーは愛知、千葉、長崎の3社があることが紹介されている。うち千葉の一社(葛原工業)は、もっぱら保安隊(自衛隊の前身 1952年発足)にむけての生産であったことが報じられている。軍に米穀を供出するため、国民にうどんなどの代用食が奨励されていた戦時の状況との逆転は、戦後まもなく流行した航空機用ジュラルミンの生活用品の登場などと同じく、時代の変化を反映している。
3 そしてマカロニが残った
 その後人造米は、ますます注目されることになる。この人造米をめぐっては、1953年(昭和28)7月16日に参議院農林委員会でその規格化の必要が問われ、その後、両議院の農林委員会でこれを主食として扱うか否かという議論がなされた。そして全国的な冷夏で8月15日段階での米の作況指数が全国平均で95という数字であることが発表されると、人造米への関心はますます高まり、厚生行政の立場から内容、栄養成分に対しての議論もなされた。マスコミも、昭和天皇が食していることを報じるなど、人造米に注目した報道を行なった。
 9月15日段階の作況が89と更に下降していることが発表された10月以降、人造米製造に参入する企業が相次ぎ、吉田茂首相がこれに関心を持つ発言をしたことが報道されたことと相まって、それまでの粉食奨励策との整合性などと含め、国会での議論が伯仲していった。
 10月27日、「本年度産米不作に伴う食糧対策要綱」と共に、「人造米生産育成要綱」が閣議決定され、法的に人造米が位置づけられた。この要綱では、人造米の消費と普及は、米不足を補うものであると共に、澱粉粉と小麦粉の新規利用の開拓にも有用であるため、年間30万t(トン)を目標とするという方針を立て、
1 製造方法の特許発明の実施
2 設備資金の援助
3 日本農林規格を制定、登録格付機関としての財団法人を設立
4 生産技術の指導、改良、優良技術の普及活動
5 課税の特別措置
6 消費の普及
を図ることが決められた。

オーマイライス(1955年/日本製粉)
同社のマカロニと並ぶ、小麦二次加工製品「オーマイ」ブランドの記念すべき第一号。小麦粉を粒状加工して作るがわずか2年で製品寿命が尽きた。「日清製粉社史」より
 この要綱の実施にあたってはなおも議論が重ねられた。特に、製造方法の特許発明に関して、一部の既存メーカーが特許料を支払っていた松田喜一朗氏の特許に対して、食糧庁がその特許料を支払い、メーカーの負担を減らし、人造米の価格を安定化しようとした件については、松田氏に支払われる特許料の金額、すでに特許料を支払っているメーカーに対する損失補てんが問題となる一方で、特許内容と生産実態の差異から、この特許自体の有用性、格付け機関の設置方法にまで議論が及び、結果、国費で特許料は支払われないということになり、さまざまなメーカーが人造米市場に参入することになった。
 55年に日粉食糧株式会社を設立して市場に参入した製粉大手の日本製粉株式会社は、イタリアから輸入したマカロニ製造機を応用して人造米に加工する方式をとった。米の王という意味での「王米」をカタカナ読みにした「オーマイ」という商標で販売された人造米の「オーマイライス」は、「オーマイカットマカロニ」と同時発売された。
 しかし55年の段階においての人造米需要は、米の豊作によるヤミ米の価格低下によって、ピークが過ぎていた。結果「オーマイライス」は、まもなく販売停止を余儀なくされてしまった。人造米はその後、自衛隊での糧食に使われる程度の存在感でしかなくなりつつあり、自衛隊においても61年には不採用になった。
 こうした人造米ではあるが、その流行がマカロニの需要を拡大させる機会を生み、現在まで続くパスタのブランドの源流となったのである。
4 ビタミンはお米屋さんから
 米食中心の食生活による栄養不足を解消するため、米自体に栄養分を添加する方策として、米と混ぜて炊飯する強化米は、人造米とは異なる視点から登場したものであるが、はじめこれと同一の立場で取り扱われた。というのも、当初強化米の定義が一定しておらず、強化米とは栄養分を添加した天然米を指すのか、栄養分を配合した人造米を指すのか、はっきりしていなかったからである。
 1953年(昭和28)当時、厚生省に特殊栄養食品として登録されていた強化米には、「ニューライス」と「ビタライス」、「プレミックス」の3銘柄があった。
 このうち、「ニューライス」は葛原工業が製造する小麦粉65%(パーセント)、米粉20%、澱粉5%の人造米であり、人造米の中では、栄養成分を付加価値とした高級品の位置づけがなされた。
 一方、「ビタライス」は、1946年、京都大学の近藤金助研究室で満田久輝氏が開始した精米の栄養強化に対する研究成果を用いた、ビタミンB1を米の中心部にしみ込ませる浸漬法によって作られた強化天然米であり、京都大学が特許権を有し、社団法人栄養食糧協会に実施権がゆだねられていた。
 そして「プレミックス」は、アメリカのウィリアムス氏が行なった米食民族の栄養強化の研究成果に基づき、精米にビタミンB1を噴霧して、鉄分を混入した蛋白でくるむコーティング法によって作られた強化天然米で、ロッシュ社がその特許権を有していた。
 「ビタライス」、「プレミックス」は共に試験的な利用に留まっており、その製造が本格化するのは、54年1月の正式販売の後からであった。
 「ビタライス」が武田薬品、三共、塩野義製薬の各社、「プレミックス」が藤沢薬品工業から発売され、強化米の市場が出来上がった当初、天然米を原料とするこの2銘柄は、米穀通帳が必要な配給品とされ、米穀店で販売された。これにより、強化米とは、天然米に栄養分を加えたものという定義が明確化された。
 「ビタライス」は「ビタミン臭」といわれる独特の匂いから、「プレミックス」はコーティング材の異物感からか、また、製薬会社が米穀店ルートに商品を提供する難しさから、当時の販売業績は芳しくなかった。このため「プレミックス」は60年に販売中止となるが、「ビタライス」は、55年からの源泉混入方式(配給米に強化米を混ぜた状態にする方式)での販売が許可されると普及率を一挙に高めた。
 武田薬品工業は55年に「ビタライス」のビタミン臭を押さえた「ポリライス」を発売、三共は56年に「改良新製品ビタライス」を発売し、品質の向上を図ると共に、両社は米穀店ルートに向けた商品の開発にも着手した。
 そして武田薬品工業は子会社の武田食品工業株式会社から、ビタミンCを配合した清涼飲料水である「プラッシー」を58年に発売、米穀店の配達販売制度を利用してジュースの買い置き販売を定着させたほか、グルタミンソーダ入り総合調味料の「いの一番」を61年に発売するなど、食料品販売を強化させた。これに対し三共でも、61年から64年にかけて「三共発泡粉末ジュース」製造を開始したほか、系列の富士製粉株式会社から「三共のケーキミックス」、三共乳業株式会社から「三共のアイスクリームミックス」などを発売しこれに対抗した。
 こうしてお米屋さんにジュースや調味料を配達してもらうという習慣が、しばらくのあいだ定着していったのである。
ビタライス(1953年/三共製薬 現・第一三共製薬)
当時、三共製薬のほか、武田薬品工業、塩野義(シオノギ)製薬で製造しており、強化米の一大勢力であった
プレミックス(1953年/藤沢薬品工業)
Prepared Mix(調製粉)の略で、現在はから揚げ粉、ホットケーキの素などとして売られているが、当時は強化米の名前であった
ポリライス(1955年/武田薬品工業)
ビタライスの改良製品。ある世代にとっては、プラッシーとセットで記憶されている方も多いと思う
5 お米へのこだわりは…
人造米と強化米の普及の過程を見ると、まずはカロリー、そして栄養バランスという、食品に対する欲求の姿が確認できるが、そこに米食という日本人独特のこだわりを見出すことができる。50年代から60年代の日本人は、いくら高くても、やっぱりお米が好きだったのである。
 その後、ラーメンやカレーなどのインスタント食品の普及や、生活の洋風化によって、肉類や油分を摂る習慣がつき、米食への関心は多少低くなったものの、基本的に米を中心とする食生活に変化はなかった。1994年の米不足における、米の販売方法と輸入米の扱われ方は、米食に対する執着が、90年代においてもなお根強かったことを表している。
 2007年現在、米に対する日本人の認識はだいぶ穏やかになったようである。健康のため、栄養分が豊かな胚芽を残した胚芽米や玄米そのもの、または黒米、赤米などに対する関心が高まり、また、麦や稗、粟などの穀物との混合炊飯への拒絶反応も少なくなっている。誰もが毎食どうしても白米を食べたいという時代は、ひとまず過ぎ去ったのだろう。
 そして、どうしても白米を食べたい人に対しての選択肢も広がっている。健康上の問題からカロリー、または栄養の制限を加えられている人に対しても、コンニャクを主原料とした低カロリーの人造米が用意されている。また、粉食の分野では、高カロリーな小麦に替わり、米粉を使った麺類も人気を得ている。
 今後、日本人にとってのお米は、どの様に変化していくのだろうか。精米としての味の追求はもちろん究められていくのだろうが、米自体に含まれる栄養分を無駄なく摂取する調理方法や副食が見つけられていくのだろう。
 もしかして、これからのお米は、製粉され、コンニャクや寒天と混ぜられて、低カロリーで本物の小麦そっくりの味がするマカロニにされたりもするのかもしれない。
新玄 サプリ米(2005年/武田食品工業 現・ハウスウェルネスフーズ)
ビタライス、ポリライスの流れをくむ強化米。米に混ぜて、炊くことによって栄養素の補給が出来る。サプリメント食品として脚光をあびている
マンナンヒカリ(2001年/大塚食品)
こんにゃく精粉を用いて開発された米用食品。米に混ぜることでカロリーをカットすることができる
 
主要参考文献
・三共百年史編集委員会『三共百年史』三共株式会社 2000年
・三共株式会社八十年史編集委員会『三共八十年史』三共株式会社 1979年
・三共六十年史刊行委員会『三共六十年史』三共株式会社 1960年
・武田二百年史編纂委員会『武田二百年史』武田薬品工業株式会社 1983年
・武田薬品工業株式会社内社史編纂委員会『武田百八十年史』武田薬品工業株式会社内社史編纂委員会 1983年
・中村豊『人造米の歴史的研究』技報堂 1957年
・藤沢薬品工業株式会社編『フジサワの100年』藤沢薬品工業株式会社 1995年
・満田久輝『米、再考』集英社 1993年
・『日本製粉社史 近代製粉120年の軌跡』日本製粉株式会社 2001年