新田太郎 戦後ニッポン「ものづくり」流行史
 
第15回
ボクちゃんにお金を貯めて
 〜ソフトビニール製キャラクター景品貯金箱〜
1 ソフトビニール製玩具の急成長
 ソフトビニールとは、ポリ塩化エチレンに可塑剤を配合して軟質にしたプラスチックの一種で、その柔軟性と耐久性から玩具、特に人形に多用されてきた。
 ソフトビニール製人形には、女子向けの着せ替え人形のように、登場当時から用途を変えずにモデルチェンジをくりかえし、ロングセラー商品化しているものもあるが(近年では環境問題への配慮から、主原料や可塑剤に代替材料が利用されている。)、昭和3、40年代に制作された男子向けのキャラクター人形のように、遊具としての需要が低迷化したのち懐古的関心を持たれ、コレクターズアイテムとしての価値を示すものもある(後者は、時に「ソフビ人形」という略称で呼ばれている。)。
 このソフトビニール製の人形が、日本で生産され始めたのは、1954年(昭和29)ごろといわれている。戦前から有力な輸出品として人気を得ていたセルロイド玩具に発火危険性が指摘され、主要な輸出国であるアメリカは禁輸措置を講じ、国内においても百貨店などが取り扱いを敬遠するなか、セルロイド加工業者は製法の類似しているソフトビニール製造技術をこぞって入手し、大量生産にこぎつけた。
 そして増田屋斎藤貿易(現・増田屋コーポレーション)が57年に発売したミルク飲み人形、「小鳩くるみのカール人形」の流行で、ソフトビニール製人形は市場での認知度を一挙に高め、類似品が数多く出回った。女子向けソフトビニール製人形は、55年から58年の4年間に国内で1200万個が発売されたといわれている。
 一方、輸出用製品も、アメリカのマテル社から59年3月に発売され、爆発的ヒットとなった「バービー」の生産を受注するなど好調であった。日本のソフトビニール人形はセルロイドに替わり、国際的に競争力を持つ製品になっていたのである。
2 大衆化を図る銀行
 ソフトビニール玩具業界に限らず、1955年(昭和30)以降の日本経済は「高度経済成長」といわれる急成長を見せていた。生産の増大は設備投資の拡大を生み、自己資本比率が少ない状態にあって企業はその資金調達を金融機関、特に都市銀行からの借り入れに依存した。都市銀行は貸付高が預金高を上回るオーバーローン状態で、地方銀行や信用金庫などから資金を調達することを常態化させていた。
 一方、景気の拡大によって飛躍的に上昇した個人所得は、耐久消費財やレジャーなどで消費されるとともにその多くが貯蓄にまわされ、貯蓄率は年々向上していった。その受け皿として投資信託や保険など、多様な金融商品が登場した。
 都市銀行は個人の貯蓄を、景気変動の影響を受けづらい安定的な資金源と捉え、顧客の取り込みに本腰を入れた。銀行の大衆化とよばれるこの時期、顧客獲得活動のために企画された預金の事例を挙げると、
愛児預金(1955 富士銀行)子供の成長記録手帳とセットの預金
家計預金(1956 三和銀行)家計手帳付き普通預金
テレビ貯金(1957 三和銀行)テレビ購入を目的化した定期預金
愛妻預金(1958 三菱銀行)配偶者へのプレゼントを目的にした預金
御成婚記念預金(1959 三菱銀行)1年ものの定額定期預金
旅行貯金(1960 三菱銀行)日本交通公社関東支社との独占契約 1年ものの定期預金の利子で団体旅行料金充当
オリンピック定期預金
(1960 富士銀行)
預金一口で入場券抽選 利息から預金者1円 銀行20銭を資金財団に寄付
海外旅行積立預金(1961 各社) 
年金預金(1962 三和銀行)利息の一部で国民年金手数料を前納
国立公園貯金(1963 三和銀行)国立公園めぐりを目的にした自由積み立て預金
などがあり、顧客の関心に寄せた商品が次々と現われている状況が知られる。
 各行は、上記のようなサービスを展開するとともに、60年代に入ると、自動車やピアノ、電化製品の購入資金を貸し付ける小口のローンをはじめ、住宅ローンのサービスも開始するなど拡大する消費に対応し、個人向けの商品を進化させた。
1951年のサンフランシスコ条約の際に配布された富士銀行の「講和記念特別貯蓄運動」貯金箱
(協力:みずほ銀行)
3 マスコットキャラクターで賑わう窓口
 1950年代後半から60年代前半にかけ、都市銀行をはじめとする各金融機関は、個人預金を獲得するために上記のような個人向け金融商品を競って開発し、新規商品がでると各機関がこれに追随し、さらに新しい商品が生まれていった。
 競争は、商品だけではなく、サービスの部門でも行なわれた。郊外住宅地の広がりに対応して急増した小規模の店舗には、ベビーカーでの利用の便宜を図り、通路を広げ、段差をなくした内装が施された。従来の店舗でも、カウンターを低くし、窓口のスクリーンが廃止されていった。窓口業務に携わる行員には接遇研修が実施され、ロゴや制服が刷新され、イメージカラーが定められた。PR誌や新聞が発行され、広告にも工夫がこらされた。
 こうした動きの中で、オリジナルのマスコットキャラクターを展開する流れが生まれた。その嚆矢は、1959年(昭和34)11月26日に近畿地区信用金庫協会で採用されたキャラクター、「信ちゃん」である。
 都市銀行とともに、個人資金の獲得に力を入れていた信用金庫は、この男子のキャラクターを全国共通の信用金庫共通のマスコットに据え、翌60年12月に、店頭ディスプレイやチラシ、ポスターに登場させ、「信用金庫の信ちゃん」として大々的に宣伝、イメージ向上に努めた。
1961年に登場した三菱銀行の「ブーちゃん貯金箱」。『続三菱銀行史』より(協力:三菱東京UFJ銀行)
 これを受けて三菱銀行では、61年の11月、「ブーチャン貯金箱」を登場させた。金融機関の景品は、マッチやカレンダーなど、配布できるものが限られていたが、貯金箱は54年に配布が認められた景品の一つであった。
 NHKの人気番組「ブー・フー・ウー」からヒントをえた子豚のキャラクターは、ソフトビニール製の貯金箱に仕立てられ、1年で150万個も配布されるほどの人気を得た。
 そして62年には、日本勧業銀行が「のばらチャン」(岡部冬彦デザインの女子キャラクター)、富士銀行が「ボクちゃん」(男子キャラクター)、三和銀行が「サンちゃん」(スコッチテリア)をマスコットに据え、それぞれ貯金箱にしたて配布した。63年には北海道拓殖銀行が「タクちゃん」(小熊)を、協和銀行は「桃太郎貯金箱」をマスコットに据えた。  マスコットとしては先発の「信ちゃん」の貯金箱や第一銀行の「スター坊や」の貯金箱も登場し、地方銀行や信託銀行なども同様のマスコット貯金箱を生み出していった。
 これらのキャラクター貯金箱の多くは、さまざまなバリエーションを展開した。たとえば協和銀行の、「桃太郎貯金箱」は、お付きのイヌ、サル、キジ、そしてオニの貯金箱を出して昔話の世界を展開し、北海道拓殖銀行の「タクちゃん」は、スポーツを題材にシリーズのなかで、スキーなどウインタースポーツで個性を発揮した。
 なかでも信用金庫の「信ちゃん」は、バリエーションの豊富さで他の群を抜いている。マスコット貯金箱のブームにのり、「日本の歴史」(65年)や「世界の民族」(67年)、「のりもの」(68年)、「スポーツ」(70年)などのシリーズが次々と登場し、73年には組み立て式「楽しい工作」という新機軸を見せ、以降も「学園」(77年)、「昔ばなし」(80年)など、長期間にわたりシリーズを展開した。
 こうしたキャラクターたちは、貯金箱となり、またもう少し大振りな人形やポスターとなって銀行の窓口やショーウインドーでかわいらしく振る舞い、和やかな雰囲気をかもし出したのだろう。
銀行マスコットの草分け的存在「信用金庫の信ちゃん」(左)。上の写真はバリエーションも豊富で、桃太郎、花さかじいさん、一休さんに扮した1980年の「昔ばなし」(協力:社団法人全国信用金庫協会)
4 世界をめぐるキャラクター
 銀行オリジナルマスコットキャラクターの中で、富士銀行の「ボクちゃん」は、誕生の来歴が知られる数少ないキャラクターである。
 同行が1980年(昭和55)に発行した『富士銀行の百年』は、62年当時、同行業務部業務第一課長代理で広報を担当していた中村勝美さんの回想を以下のように載せている。
 「昭和37年度暮のボーナスに間に合わせるつもりで、最初ディズニーと交渉に入ったのですが、先方の事情で実現不可能になりました。これにかわる良い考えも浮ばないままに何日かたってしまいました。
 ある日、自宅で1歳になったばかりの子供を見ていた時に、ふと子供が手にもって喜ぶような人形は、どうだろうと考えついたのです。その時はもうボーナスまで2ヵ月もなかったので、デザイナーにも、葛飾支店の取引先のプラスチックメーカーにも無理をお願いしてやっと間に合わせることができました。」
 この回想から、当時の銀行にとって、マスコットキャラクターがいかに重要視されていたのかが知られる。
 62年11月にアメリカン・インディアン(当時呼称)の男の子の姿で登場した「ボクちゃん」は、63年6月にアラスカのエスキモー(当時呼称)、12月にスコットランドの民族衣装姿というように、世界各国を巡る体裁でシリーズ化した。オリンピックを間近に控えた64年6月には、ギリシャの民族衣装をまとい聖火を掲げる姿と、オリンピック日本選手団のユニホーム姿の2種類がでた。
 その後「ボクちゃん」は、64年12月に次回オリンピック開催地のメキシコの衣装に着替えて世界を巡り、69年の宇宙飛行士の姿で終了するまで、各地を巡るスタイルをほぼ崩さずに16種類が配布された。
 同様の企画に住友信託銀行が63年12月から配布した「世界風俗人形シリーズ貯金箱」があるが、ネーミングと業態からわかるように、こちらはマスコットキャラクターとして大人びている。また、「信ちゃん」にも「世界の民族」シリーズがあるが、こちらは、豊富なバリエーションうちの一つといった位置づけになるだろう。
 かわいらしさを強調した同種キャラクターのシリーズ展開のさせ方のなかで、「ボクちゃん」は、バリエーションを増やすよりも、〔空間移動≠旅〕というコンセプトを特化し、その種類を増やしていった点が特徴的である。半期に一度のペースで登場する際に、問い合わせが殺到したというエピソードや、一年間に500万個を配付されたという記録は、このコンセプトが当時広く受け入れられていたことを示したものといえるだろう。企画者の中川さんのお子さんがこのときもう少し成長していたら、果たしてこのキャラクターは生まれていたのだろうか。偶然の面白さを感じる。
富士銀行の「ボクちゃん」。1962年にデビューし、東京オリンピックをはさんで、世界各国の民族衣装に身を包む国際色豊かなキャラクター。最後は月ロケットアポロにちなんだ宇宙飛行士姿で幕を閉じる(協力:みずほ銀行)
5 マスコットたちのゆくえ
 1967年(昭和42)当時、およそ48億円の生産額を誇ったソフトビニール製玩具のなかで、「マスコミもの」と分類され、その一角を占めていたキャラクター景品貯金箱は、その後どのように変化したのであろうか。
 富士銀行では73年のパンダブームにあたってパンダの貯金箱を配布、82年に蛇腹式の動物キャラクターを用いた「のびのび貯金箱」、91年にはサンリオの「ペックル」を貯金箱としている。一方、協和銀行では、それまでの桃太郎シリーズにかえ、79年に「ドラえもん」を貯金箱に採用し、81年に「ミッフィー」をイメージキャラクターに据えた。
 60年代に生まれた銀行のオリジナルマスコットキャラクターは、貯金箱というメディアで大々的に流通し、硬質なイメージのある銀行をソフトにやわらげる効果を発揮し、その役割を既成のキャラクターへ替えていったようである。そして、東南アジア諸国に生産拠点を移したソフトビニールも貯金箱に使われる機会を減らし、硬質のプラスチックに取って代わるようになった。
 60年代の家庭を飾ったソフトビニール製キャラクター景品貯金箱は、現在、「ソフビ人形」の一つにカテゴライズされ、しばしば高値で取引されている。
 いまではそのほとんどが歴史となった銀行の名前を、けなげにアピールするソフトビニール製のマスコット人形たちの笑顔を見ていて、ちょっと切ない気持ちになるのは、筆者だけであろうか。
1973年の富士銀行「パンダ貯金箱」(協力:みずほ銀行)1982年の富士銀行「のびのび貯金箱」(協力:みずほ銀行)
 
主要参考文献
・株式会社富士銀行調査部百年史編さん室編『富士銀行の百年』1980
・小山壽『日本プラスチック工業史』工業調査会 1967
・協和銀行社史編纂室編『協和銀行通史』あさひ銀行 1996
・三和銀行行史編纂室編『三和銀行の歴史』1974
・社団法人全国信用金庫協会50年史編纂室編『信用金庫50年史』2002
・住友銀行五十年史編纂委員会編『住友信託銀行五十年史 別巻』1976
・東京都・財団法人日本輸出雑貨センター編『昭和42年度 東京都意匠改善調査事業報告書』1968
・日本勧業銀行調査部編『日本勧業銀行七十年史』1967
・三菱銀行調査部行史編纂室編『続三菱銀行史』1980