新田太郎 戦後ニッポン「ものづくり」流行史
 
第13回
オリンピックとプラスチック〜「ポリバケツ」
1 オリンピックによって整備された環境
 1964年(昭和39)、東京で第18回のオリンピック競技大会が開催された。この大会は、東洋初のオリンピック競技大会であるという性格に加えて、日本の戦後復興を世界に示す一大イベントとしての性格があったことが良く知られている。
 国立競技場や武道館、駒沢オリンピック公園など、競技関連施設の整備のほか、この機会に整備されたものとして、「オリンピック道路」と呼ばれる環状・放射道路や首都高速道路、東海道新幹線や東京モノレールといった交通インフラがあげられる。これらの整備は、競技の円滑な遂行を一次的な目的としながら、その後の利用を想定した、都市社会資本であった。
 このほかにも、港湾や上下水道が整備され、清掃、警察・消防などの事業が強化され、都市環境の向上が図られ、観光事業振興策として、外国人観光客の誘致を柱に、ホテルや旅館などの宿泊施設が整備された。
 こうした中で私たちの生活に滑り込んできたものに、「ポリバケツ」がある。
2 ニューヨーク市からの提言で
 現在、普通名詞として広く通用しているこの用語であるが、この用語をこの言葉を「JapanKnowledge」で調べてみると、「デジタル大辞泉」では、「ポリエチレン製のバケツ。商標名。」とある。実はこの「ポリバケツ」という名称は、特定の商品名であったのである。
 商標の取得者は積水化学工業株式会社。この商標は1957年(昭和32)12月25日に出願され、商法登録番号第580318号として、61年9月15日に登録された。57年に発売されたフタ付き、柄つきのポリエチレン製の容器は、主に食品の保管用品として需要を伸ばした。このポリエチレン製品の需要を一気に伸ばした機会として、東京オリンピックが挙げられる。それは東京都のゴミ収集方法の転換によるものだった。
 先に述べたとおり、東京都は、オリンピック開催にあたる環境整備として、(1)都市公害対策と屋外広告の規制 (2)上水道の整備 (3)下水道の整備 (4)衛生対策 (5)清掃対策に重点を置き、事業を強力に推し進めた。
 都市の環境衛生にそれぞれが密接に関わることであるが、(1)〜(3)は、設備の改善など、ハードの部分に重点が置かれる事業であるのに対し、(4)(5)は、従来の認識の変革を必要とするソフトにかかわる事業である。さらに行政指導や法規制よる制御が有効な(4)の衛生対策に対し、(5)の清掃対策は、その収集、運搬、処理、処分のすべてにわたり改善が必要とされていた。
 東京都は、1960年10月に来日した、ニューヨーク市清掃局次長のヘンリー・リーブマンから、(1)生ゴミとその他のゴミの分別収集 (2)建設現場や道路、店先でのゴミの散乱  (3)作業員の低い待遇という問題点の指摘を受け、(1)フタ付き容器による混合収集 (2)巡回パトロールによる不法投棄の取り締まり (3)作業の機械化による環境改善と職員の待遇向上、を図るべきであるというアドバイスを受けた。インフラで対応できるゴミの運搬、処理、処分に対し、ゴミの出し手である家庭や事業者の認識変革が必要なゴミの収集事業が、問題点として指摘されたわけである。
 これを受け、東京都では、ゴミの不法投棄監視のパトロールをするとともに、ゴミの回収方法を改めた。それまでは厨芥(台所ゴミ)、雑芥(掃除によって出たチリや生木など)に分け、前者は家庭を巡回し、後者は路上に備え付けられたゴミ箱から、作業員が手作業でかき出し、手押し車やトラックに積込むとという方法であったのを、家庭内に設置する容器に、厨芥、雑芥を合わせて入れ、それを決まった時間に路上に出し、作業員がゴミを触ることなく回収車に積込むという方法に改めたのである。
 この方法は、60年の8月に、杉並区の3000戸で試行され、63年度末には全区で実施を見た。従来の据付式のゴミ箱は、66年12月までに撤去された。
 このとき、大いに用いられたのが、ポリエチレン製の容器であったのである。
3 ゴミ容器の普及
 1961年(昭和36)7月に放送された東京都オリンピック準備局提供のラジオ番組「東京採点」における、戸塚文子、松田ふみ、十返千鶴子(以下敬称略)の対談から、容器普及当時の様相を見てみよう。
松田: ………それでね。ゴミ箱も今までの用にコンクリート製で街の中においとかないで、あれを自分の家の中にいれるくふうをするんですって。五人家族で三日ぐらい使える大きなタンクをおいといて、それを随時日を決めて街かどへ出して、それをトラックが取りにくるようなシステムにするんですって。
戸塚・十返: 外国と同じね。
松田: そう、アメリカ式に。そうすればゴミタメが街角にあって自動車が通行に困るとか、あるいは街の美観を損するということがないんですって。だんだんよくしていくらしいのよ。
十返: もう少しそういうことを徹底的にPRしてもらいたいわね。たとえば私のうちのるす番のおばあさんなんか「きれいなゴミ箱を買えって云いにきたけどあれはどんなもんかねえ。」って。ただ何か買ってくれってことらしいのだけど。そこのとこもう一寸良い伝達の方法はないものかしら。
戸塚: それにお役所のやり方がスッキリしてないから、そこへインチキ業者が入るの。(三人同感)
十返: そうなの、そういう感じなのよ。
戸塚: 東京都のマークをつけてサギ師が・・・・ 私、それにやられちゃったんですけどね。指定のゴミ箱を買わなきゃゴミをとってやらないっていうんですよ。(三人異口同音)
松田: うちの方もそうなの。私はコンクリートの小さいのを、そうかと思って買ったのよ。やっぱり清掃係の人たちが「こういう風に統一したい」ということを各戸に徹底するようになんかこう、はっきりと伝達してくれるといいんですけどね
(東京都オリンピック準備局「東京都オリンピック時報」2−3 1961年10月より)
 当時の様相をよくあらわす文面なので、長くなったが引用した。「ポリバケツ」でこの分野の製品を先行して生産していた積水化学工業株式会社は、従来の製品よりさらに大型の蓋の密閉性を高めた容器である「ポリペール」を、この放送と同時期の61年7月に発売した。
 ポリエステルの「ポリ」と桶の意である「ペール」を組み合わせた商標の製品を販売するにあたって、同社が広めた「街を清潔にする運動」というフレーズは、62年初頭から東京都が開始した「首都美化運動」の「首都美化はオリンピックの一種目」や、「一千万人の手で東京をきれいに」といったスローガンとも合致し、また、東京都の「東京を美しくする展覧会」(62年の12月)などの啓蒙活動や、生活保護世帯への容器貸与制度などを経て、東京のみならず各地に普及した。
4 ポリエチレン容器の進展
 一方、積水化学工業の先行製品である「ポリバケツ」は、オリンピックの開催をまじかに控えた1964年(昭和39)初頭の広告に見られるような製品を新たに展開した。
ポリバケツ*は、青一色?――いいえ!
「青いがいにも、楽しい色を」――奥様がたのご要望にお応えして、セキスイでは新色を発表。モダンな5色がそろいました。
赤、黄、緑、むらさき・・・・・・使いみちが、色で区別できます。
お洗濯はブルー、お漬ものは黄色というぐあいに使いわけてください。
お好みの色を、どうぞ。
お台所に、お庭に・・・・・・カラーで使いわける5色のポリバケツ。
*ポリバケツという名前は、セキスイだけの「登録商標」です。
 この広告が載せられた「主婦と生活」64年2月号には、積水化学から「ポリバケツ」の「楽しい使い方」の募集記事が載せられており、同年の4月号には、以下のようなアイデイアが紹介されている。
おくりもの
当地の名物の「柿のタル抜き」をブルーのバケツに作り、そのまま贈りました。昨年暮れは、真っ赤なポリバケツにおみそを入れておくりとてもよろこばれました。
(宮城県・和田貴美子さま)
オムツ入れ
まず、洗濯液をいれておいてつぎつぎひたしてゆきます。ベビーベッドのそばに置いて、大は赤、小は黄色というぐあいにポリバケツを色分けしておけば、みた目もきれいいです。
(東京都・皆川孝子さまほか多数)
カラーの花壇
四階の団地住まいで、土へのあこがれが強く、赤、黄、みどり・・・・・・と並べて、花を植えています。子供たちにも好評です。
(吹田市・江藤憲子さまほか)
おもちゃいれ
お姉ちゃんは青、ボクは黄色と色分けしてあてがいます。自分のものは自分で整頓する習慣がつきます。
(山口市・三ヶ尻ヤエさまほか多数)
 メーカーの広告記事ではあるが、これらには当時の消費動向がよく表されている。
 プラスチックの持つ、成型・加工・着色のたやすさ、軽さ・丈夫さ、化学的安定性などの特質は、日常生活の必要を満たすだけではなく、オリンピックが始まろうとする日本で、贈答や趣味用品、育児用品といったあらたな需要を生み出しながら消費を拡大させていった。
 素材の利点を生かした存在感の強さは、「ポリバケツ」をポリエチレン製の丸型容器を示す、一般名詞に引き上げる作用を果したのであろう。
5 プラスチック製品のこれから
 しかし、ポリエステル製品をはじめとする、プラスチックの利点が、その後欠点にもなることが明らかになってきた。
 ゴミの容器収集を始めてから、生ゴミの水分が漏れずに収集車に投入され、結果的にゴミの容積を増やして焼却炉の負担を増加させるという事態や、収集後の容器が家庭に回収されず路上に放置されるという事例に見るように、プラスチックの安定性、軽便さがあだになる事態が発生したのである。
 プラスチックの問題はこれに留まらず、加工のたやすさと廃棄物となったときの処理の難しさとで、ゴミの増加が社会問題化したことは周知の事実である。その後、自治体の中にはプラスチックの燃焼に耐える焼却炉を設置するところがあったが、更に有害物質やCO2の削減などの問題などが発生した。
 高度経済成長による、消費生活という夢の実現に一役かったプラスチック製品は、その後の大量投棄社会の代表として悪者にされた観がある。しかし、プラスチックという素材は、製品の自由な造形を可能とし、インダストリアルデザインを大きく進める役割を果し、またプラスチック自体の技術革新は、医療機器など、私たちの生活に不可欠な機器の技術革新に寄与して、私たちの生活を大きく進めた。
 フリース素材を代表に、近年ではプラスチックをリサイクル、リユースする方向での技術革新が進められており、また、自然原料から生成される新たなプラスチックにも注目が集まっている。
 今後、プラスチックはどのように変化していくのであろうか。もしかすると、金属や木材より環境負荷の少ない素材に進化していくのかもしれない。
 
文献
・オリンピック東京大会組織委員会『第十八回オリンピック大会公式報告書 上』1966年
・セキスイブラスチックノート編集委員会『セキスイプラスチックノート』積水化学工業株式会社 1974年
・東京都『第1回オリンピック競技大会 東京都報告書』1965年
・東京都清掃局『清掃事業のあゆみ』1977年
・東京都清掃局総務部総務課『東京都清掃事業百年史』 2000年
・「東京都オリンピック時報」第2巻第3号 東京都オリンピック準備局 1961年
・「主婦と生活」第19巻第2号 主婦と生活社 1964年2月
・「主婦と生活」第19巻第4号 主婦と生活社 1964年4月