新田太郎 戦後ニッポン「ものづくり」流行史
 
第10回
蚊取り線香〜ニッポンで生まれた生活の知恵
クロアチア原産の植物が線香になるまで
 蚊取り線香。蚊帳と共に夏場に使われたこの道具を、なつかしく感じるかどうかは、個々の生活経験によって異なるようだ。実際、シートやリキッドを使う電気式の装置が目立っているが、消えていった蚊帳に対して、渦巻き型の蚊取り線香は、まだまだ市場で健在である。この蚊取り線香が、明治期に日本で発明され、特産品として世界に渡った製品だということを聞くと意外に感じるのは、筆者だけだろうか。
 現在も蚊取り線香を生産し、市場に大きなシェアを占めている「金鳥」ブランドの製造元の名称が、「大日本除虫菊株式会社」であることからもわかる様に、初期の蚊取り線香の主成分は除虫菊であった。正式名称が「シロバナムシヨケギク」というように、白い花を咲かせるマーガレットのような花である。
 ダルマチア地方原産の花の存在は、当時この地を領有していたオーストリア=ハンガリー帝国の在トリエステ名誉領事、ゲオルグ・ヒュッテロットが1884年(明治17)の秋に来日した際に紹介された。以後、さまざまなルートで種子が入手され栽培が試みられ、和歌山県の有田地方で87年頃から収穫されるようになり、当地で生産に成功した上山英一郎氏(大日本除虫菊株式会社の創始者)、御前喜八郎氏(株式会社帝国除虫園、現キング化学株式会社の創始者)らによって製品化されるようになった。製品はダルマチアやアメリカ産の製品と同じく、これを乾燥させてパウダー状にしたものでノミ取粉として使われたが、従来から用いられていた蚊遣火の原理で、除虫菊粉を火鉢にくべると飛行性虫である蚊に効果が現れることがわかった。
 しかしこの方法は、粉がすぐ燃えてしまうため効果が長続きしない、夏場の需要に暖房具を用いる方法が生活になじまないという理由で、当初普及には至らなかったという。そこで、線香に除虫菊を練り込むアイデアが生まれ、89年に製法の特許が出され、90年頃から生産が開始、1900年代から和歌山と大阪のメーカーを中心に生産が本格化した。
これが蚊取り線香の原料、除虫菊。花の黄色い部分に有効成分が含まれる。茎を火にくべるだけでも蚊除けになる。画像協力:紀陽除虫菊株式会社
小唄も流れる 渦巻き化で世界進出
 渦巻き型の蚊取り線香は、棒状の線香を太く、長くし、その効果を継続させるアイデアであり、この形によって、蚊取り線香は不動のロングセラー製品になったといえる。
 上山英一郎氏の「金鳥」ブランドでは、1902年(明治35)に渦巻き型製品の生産が開始されており、この時期からわれわれになじみの深いあの形が出回ったといえる。初期の生産方法は、棒状に長く伸ばした線香を2本並べ、手で回していくというもので、熟練した職人であれば一日3000〜5000巻を仕上げたという。
 除虫菊製品生産の本格化にともない、わが国における除虫菊の生産は盛んになっていった。前述の上山英一郎氏や御前喜八郎氏は、早くから除虫菊の栽培方法を印刷物にし、現金収入手段としての有用性を説いたため、有田地方をはじめとする和歌山、岡山、広島、香川、愛媛といった瀬戸内地方を中心に生産農家が急増した。北海道では、花畦村(現・石狩町)の金子清一郎氏が上山英一郎氏から種子を得て栽培を始めた。
 除虫菊の生産数は、1905年に3万3849貫(1貫=約3.75キログラム)であったのが、10年には10万3838貫、15年に26万2835貫、20年に46万8998貫と飛躍的な伸びを見せる。増産のため価格が暴落した除虫菊を、上山英一郎氏が1905年にアメリカへ輸出したこと嚆矢として開始された輸出は、1914年から18年の第一次世界大戦によって、ヨーロッパが戦場となり、主生産地であったダルマチアの生産が落ち込んだため本格化し、1913年に4万1907貫であった干花の輸出は、14年に9万8353貫、15年に24万6971貫と急増して世界一の生産高を誇るようになった。虫取り粉や棒状線香、渦巻線香といった除虫菊加工製品も同様の伸びを見せ、日本の重要な輸出品となった。そのなかで北海道の生産高は急増し、1929年当時には国内生産額の62%(パーセント)を占めたといい、以下のような歌も作られた。
除虫菊小唄

夏を訪ねて ゑぞ地をといはばトコセ
匂ひこぼれて わしや咲き揃ふ
ハ、チョイトサ トコ 除虫菊
ヨイヤマタ ソリャヤントセ

咲いた揃ふたヨ 品よく揃ふた
去年の今日より わしや待ちかねて
ハ、チョイトサ トコ 除虫菊
ヨイヤマタ ソリャヤントセ

主をまつ間の しんきな夜は
蚊やり灯して わしやまぎらわせる
ハ、チョイトサ トコ 除虫菊
ヨイヤマタ ソリャヤントセ

咲いたわたしぢや あなこのまゝよ
連れて行くなら アメリカまでも
ハ、チョイトサ トコ 除虫菊
ヨイヤマタ ソリャヤントセ
 国際シェアの上昇には、従来、蕾での収穫が上等品と考えられていた除虫菊が、有効成分のピレトニン(ピレスロイドの一種)含有率で見ると満開状態で高いという研究結果があり、蕾中心のダルマチア産より、重量を稼ぐために開花した状態で出荷されることの多かった日本産が成分的にも有利だという発見も助けになった。しかし、日米関係が悪化し、第二次世界大戦への道が開かれていくと、日本産除虫菊の輸出量は減少、かわって北海道と環境が類似したケニアの高地地方で栽培が盛んになり、シェアを握るようになった。一方国内では、農芸作物に統制がはかられ食用作物の生産が奨励されて、除虫菊の生産は大きく落ち込み、国内の除虫菊産業は停滞した。
金鳥の渦巻(1902年/大日本除虫菊) 金鳥の歴代蚊取り線香。1890年(明治23)の発売当初は普通の線香のように棒状であった(右)。その後、渦巻になってからは、おなじみのパッケージのロングセラーブランドとなった 蚊取り線香を手巻きして渦巻にする(1953年ごろ)。57年に打ち抜き式の高能率自動渦巻線香製造機が完成するまでは、工場ではこのような風景が見られた
ピレスロイドの合成でさまざまな形に
 戦後の日本は、国土の荒廃、大量の引き上げ者の都市流入などにより、極度に衛生状態が低下し、進駐した連合国軍によって、DDTやBHCといった有機塩素材による強制的な消毒が実施され、除虫菊製品を製造していたメーカーにも化学合成剤の製造が命令されるような状況にあり、殺虫剤の原料としての除虫菊の存在は薄れていった。
 除虫菊は、1947年(昭和22)頃から、細々と生産が再開され、朝鮮戦争時(50年)には一時的に息を吹き返すものの生産を縮小させていった。その理由として、除虫菊の有効成分であるピレスロイドを化学的合成したアスレリンが49年にアメリカで発明、同年日本でも住友化学株式会社が開発に成功、「ピナミン」と命名され53年から販売され、各メーカーが54年頃から蚊取り線香にこれを用い始めたことと、食品流通や住環境の変化で、蚊やハエよりも耐毒性の強いゴキブリやダニが、家庭に入り込むようになったためだと考えられる。
 一方、有効成分が明らかになると、その散布方法にも工夫が見られるようになった。液体化した成分を噴霧する方法は、成分を直接的に対象に投与することができるため、即効性が期待できる。成分の液体化に関する技術は、29年の株式会社木村製薬所(現・アース製薬株式会社)の「アース」、30年の大下回春堂(現・フマキラー株式会社)の「フマキラー」が早いが、戦後、スプレーによる殺虫剤の噴霧が一般に知れ渡ると、合成ピレスロイドを用いた殺虫液がこの方式を採用し、51年頃からエアゾール形式のものが普及しはじめ、その後、害虫の性質に合わせた殺虫成分を配合した製品が開発されるようになった。
 成分の散布方法は蚊取り線香の分野でも工夫が施された。1963年、有効成分を吸着させた繊維板を電熱器で過熱し、成分を揮発させる電気蚊取り器、「ベーブマット」が、フマキラー株式会社から発売された。除虫菊を線香に練り込んだ発想に勝るとも劣らないこの発明は、一世を風靡し、66年には液体成分を揮発させる「キンチョーエイト」が大日本除虫菊株式会社から発売され液体式の先駆となった。近年ではさまざまなケーシングをした製品が出回っている。
 ところで、蚊取り線香自体の製造技術革新には、先述した合成ピレスロイドの導入による殺虫性能向上のほか、1943年に山彦除虫菊(現・ライオンケミカル)の上山彦寿氏が特許を得た蚊取線香打抜機の技術を一般化させた、機械での型抜きによる大量生産がある。また電気式蚊取り器の登場は、家庭のなかでの蚊取り線香の存在感を若干弱めることになったが、場所を選ばずに使える製品としての存在感を新たに示し、吊り下げ式ケースなど野外での利用を見越した製品を生み出すことになった。
アース(1929年/アース)
アースが木村製作所時代に、除虫菊の殺虫成分に着目し、ポンプ式の噴霧用殺虫剤を考案
ベープ(1963年/フマキラー)
世界初の電気蚊取り。殺虫成分アレスリンを染み込ませたマットをセットし、電気の熱で成分を蒸散させるという画期的な仕組み
再び見直される生活の知恵
 1920年(大正9)に安住大薬房(安住伊三郎氏が1893年に大阪で創立)が新聞に出した広告のキャッチコピーには、
生活改造!
鬱陶しき蚊帳を捨てゝ・・・・・
快適なる安住蚊取線香を・・・・
とある。
 人体への有害性が少なく殺虫効果が高いピレスロイドを長時間蒸散することにより殺虫空間を作ることのできる蚊取り線香は、古くから蚊帳によって仕切られた空間で蚊を防ぐことをしてきた日本人にとって、魔法の発明であったのかも知れない。
 その後、住宅の気密性が高まり、アルミサッシュと網戸が普及して環境が整うと、蚊取り線香は、工程を自動化させ、原料を化学合成に変え、蒸散方法を簡素化して、効率化を進めてきた。
 しかし、近年では、環境に対する関心の高まりのなか、天然の除虫菊が見直され、煙と香りに対する肯定的評価もあいまって、大手メーカーも無着色の天然素材のリバイバル的製品を生産するようになっている。瀬戸内地方を中心に、観光資源として除虫菊の栽培が復活してきている。乳児用などに限定され、衰退の道をたどっていた蚊帳にも再評価の気運が高まっている。
 こうした関心は、環境に負荷をかけないライフスタイルを志向する風潮が一般化したことを背景としたものと言える。しかしこの現状は、公衆衛生を向上させるため、上下水道を整備し、塵芥を処理し、コールドチェーンを確立させるなどして、衛生害虫を減らしていった先人たちの努力と、害虫に対して絶えず努力を重ねていった業界の努力の上に立っているといっても過言ではないだろう。
 
 今後、蚊取り線香はどのような形に変化するのだろうか。
 昨今、イギリスを始めとする欧米諸国では、「モスキート・リングトーン」という音源が人気を集めているという。若者に聞こえやすく、大人には聞こえずらい17000ヘルツの高周波の音で、若者を追い払おうと開発された音源が、携帯電話の着信音にされて学校の教室で鳴らされ、楽しまれているというものだ。これに類する周波数を発するソフトが「デジタル蚊取り線香」といわれ、パーソナルコンピュータへのダウンロードのサービスがされている。実際に効果があるという話は聞かないが、将来的には技術が進展していくのだろう。
 こうした技術が人間に応用されて、知らぬ間に近寄らない場所ができたり、引き寄せられる店ができたりするようになるのだろうか。考えてみるとすこし怖い。
 蚊取り線香は、いつまでもこのままの形であってほしいような気もしてくる。
天然蚊とり線香(紀陽除虫菊)
有名な除虫菊の産地である和歌山県で1910年(明治43)に創業。現在でも、化学薬品などの合成物を使用しない、天然素材のみの蚊取り線香を製造している
文献
・大日本除虫菊株式会社社史編纂室『金鳥の百年』大日本除虫菊株式会社 1988
・丹野岳二『北海道の除虫菊』北海道除虫菊調査会 1930
・藤原雅一『除虫菊並除虫菊製品一般製造法』紅花堂出版部 1931
・町田忍『仁丹は、ナゼ苦い?〜明治・大正期の薬品広告図版集〜』ボランティア情報ネットワーク1997
・森川仙太『除虫菊と共に』キング除虫菊工業株式会社 1966
・『薄荷除虫菊古老座談会』日本輸出農産物株式会社 1942
・『除虫菊増産技術講習会講演集 第1回』日本除虫菊協会 1944