新田太郎 戦後ニッポン「ものづくり」流行史
 
第9回
魚肉ソーセージものがたり
なぜか存在感の強い食品
 魚肉ソーセージはなぜか、ポジティブ、ネガティブ双方の側面で、かなりはっきりした印象を持つ方が多い食品である。これは、昭和30年代に生産量が爆発的に上昇し、40年代にそのピークをむかえ、以後漸減していったこの食品に対し、当該時期の経験者を中心に、なんらかの思い入れを持つ層が多いためと考えることができるだろう。→参照:ほぼ日刊イトイ新聞「大投票GOODorBAD?あらゆるモノゴト、いまどっち? #0089 魚肉ソーセージ」
 魚肉ソーセージとは、どのような食品なのだろうか。農林水産省の定める「魚肉ハムおよび魚肉ソーセージ品質表示基準」(制定 平成12年12 月19日農林水産省告示第1658号。 改正 平成17年農林水産省告示第884号)の「普通魚肉ソーセージ」の定義によると、
1 魚肉をひき肉したもの若しくは魚肉をすり身にしたものまたはこれに食肉をひき肉したものを加えたものを調味料及び香辛料で調味し、これにでん粉、粉末状植物性たん白その他の結着材料、食用油脂、結着補強剤、酸化防止剤、保存料等を加え若しくは加えないで練り合わせたものであって、脂肪含有量が2%以上のもの(以下単に「練合わせ魚肉」という。)をケーシングに充てんし、加熱したもの(魚肉の原材料に占める重量の割合が50%(パーセント)を超え、かつ、植物性たん白の原材料に占める重量の割合が20%以下であるものに限る。特殊魚肉ソーセージの項において同じ。)
2 1をブロックに切断し、又は薄切りして包装したもの
とある。
 なお「魚肉」と「食肉」の部分を筆者が赤文字としたが、この2語は、引用文の前に載せられた「魚肉ハム」の項で、
魚肉(鯨その他魚以外の水産動物の肉を含む。以下同じ)
食肉(豚肉、牛肉、馬肉、めん羊肉、山羊肉、家と肉又は家きん肉をいう。以下同じ)
と定義されていることへの説明の意味である。
 つまり、現在の魚肉ソーセージとは、ひき肉、あるいはすり身になった魚肉(哺乳類など魚類以外の水産生物を含む)の食材に脂肪を加え、調味料や香辛料で味付けして、それを外装材に入れて過熱したもので、魚肉の重量が全体の50%以上、「つなぎ」の植物性蛋白が20%以下、それに保存料などが加えられたもので、食肉類が加えられるものもあるもの。と、いうことができる。
 この食品は、どのような需要を満たすため登場したのか。そして、どのように認知され、いかにして市場に定着したのか。また、その内容の変化はあったのかをここで確認し、魚肉ソーセージが日本人の生活に及ぼした影響を考えて、この製品の持つ独特のイメージに迫りたい。
どのような需要を満たすため、登場したのか?
 〜誕生から製品化まで
 わが国では古来より水産物がよく食べられており、干物や塩漬けなどの保存技術が発達していた。腐りやすい魚肉を保存するため魚肉をほぐして練り、調味して、それを加熱したカマボコも、かなり古くから生産されていた。
 この技術は、永らく肉食が禁忌とされていたというわが国独自の事情により発達したものと考えられる。しかし明治に入り肉食が解禁され、大正初期になって徐々に洋食が普及するようになると、供給量が少ない畜肉類に替わり、魚肉を利用したハム・ソーセージ風食品の開発が試みられるようになった。
 そして1935年(昭和10)ごろ、農林省水産講習所教授であった清水亘氏が、マグロ肉をプレスハム風にした「魚肉ハム」の開発に成功、38年に南興食品株式会社によって本格的に生産され、東京のデパートで販売されて人気を得た。そして魚肉ハムをソーセージ調にするアイディアも練られて、日本水産株式会社などで研究が進められたが、第二次世界大戦の本格化により中断を余儀なくされた。
 市場に「魚肉ソーセージ」をはじめて送り出したのは、愛媛県八幡浜の西南開発工業協同組合(現・西南開発株式会社)だった。同社は50年に、底引網漁で漁獲した材料を加工し、塩酸ゴム利用の包装材である「ライファン」製の容器に装填した魚肉ソーセージを開発、51年に大阪市の学校給食用に納入し、「スモークミート」という商品名で発売した。
 その後、52年に日本水産株式会社がマグロを原料にした製品を、53年に大洋漁業株式会社(現・マルハ)がクジラなどを原料にした製品を販売、52年2月に、魚類練り物製品に防腐剤としてニトロフラゾンの使用が認められ、常温での流通が可能となっていたこととあいまって、この分野の市場が誕生した。
 魚肉ハムの開発者である清水氏は、著書のなかで、開発の契機に、「夏マグロの値下がり」をあげ、ハムへの加工の成果を、「不味な夏マグロが不思議に美味化されるのに驚かされた」と述べている。マグロの資源が豊富だったこと――したがって現在のような希少性が薄かったこと、冷凍技術が未熟であったことなど、当時の状況を考え合わせると、この食品は豊富な水産物を加工し保存するとともに、昭和初期における生活の洋風化にともなう嗜好の変化で需要が伸びた畜産物の不足を、水産物で代用するという目的で開発されたものと考えられる。
 また、戦後における魚肉ソーセージの市場の登場は、給食の材料にされたことなどから、食糧不足のなか、蛋白源としての魚肉を保存し、流通させることを目的としたものと考えることができるだろう。
セロハンウインナー(1934/伊藤ハム)
腸の代用品としてセロファンを用いる製造方法でソーセージの量産を可能にした。現在でもポールウインナー(右)として続くロングセラーである
寄せハム(現・プレスハム)(1947/伊藤ハム)
畜肉をつなぎでくっつけたハムとソーセージの中間的な製品。日本独自のプレスハム製造技術開発の成功は、魚肉にも応用された
ツナソーセージ(1952/日本水産)
豊富に獲れたマグロを有効利用するために開発された。ちくわの材料に香辛料を練り込んだ、まさに西洋ちくわの発想から誕生した
マルハのソーセージ(1953/マルハ)
マルハが大洋漁業時代に発売した魚肉ソーセージの代名詞的存在。2003年に復刻され大好評を博した(写真)
どのように認知され、いかにして市場に定着したのか?
 〜食品としての位置の確保
 1953年(昭和28)3月1日にアメリカが実施したビキニ環礁での水爆実験で、日本のマグロはえ縄漁船、第五福竜丸が被災する事件が発生し、放射性物質に汚染されたマグロが水揚げされると、その市場価格は大暴落した。当時、ツナ缶詰などの材料として貴重な外貨収入源となっていたマグロを取り扱う水産加工業界は、困難な状況のなか魚肉ソーセージに注目し、一斉にこの市場に参入した。
 53年には225t(トン)であった魚肉ハム・ソーセージの生産量は、54年に4081t、55年に1万1978t、56年に2万6104t、57年には3万8217tと年々その数を延ばしていった。そして61年には10万tを突破、多少の上下を見せながら、72年の18万491tのピークまで、上昇傾向の曲線を描いていった。魚肉ソーセージは水産メーカーにとって、まさに救世主的な商品であった。
(日本缶詰協会魚肉ソーセージ部会資料
 http://www.jca-can.or.jp/~sausage/sausage/tokei.htm 参照)
 このように存在感を高めた魚肉ソーセージに対し、国は、62年に「小売物価統計」の調査対象品目に指定した。
 この調査は、統計法などに基づき、消費者物価指数などを作成するため、全国の商店、事業所などから商品、サービスの価格を調査するもので、50年から実施されている調査である。調査対象は価格、家賃、宿泊料にわかれ、調査は国、都道府県および都道府県知事から任命された調査員により実施される。
 調査品目は家計の消費支出を調査した「家計調査」をもとに、その中で支出額の大きな品目を分類して、「同じ種類の商品の値動きから見て代表性があり、かつ消費生活の上で重要な商品を選定したもの」、と定義されて、年度ごとに見直されている。
 以上のことから、行政が1962年の時点で魚肉ソーセージを、国民の「消費生活にとって重要な商品」であると認識し、新たに着目したということができるだろう。
 ところで、この物価統計調査の結果は、「消費者物価指数調査」に回されるが、その際、大費目として「食料」「住居」「家具・家事用品」など、中分類を「穀類」「魚介類」「肉類」などに分け、その下に品目をひもづけ、分析が加えられる。
 大費目や中分類は、各時期にあわせて名称や分類の新設、統廃合が加えられ、そのたびに品目とのひもづけも見直される。このひもづけの組み合わせ、特に中項目と品目の関係は、その当時にその品目のどういう性質が着目され、どういう組み合わせで認識されていたのかが知られる素材になる。たとえばテレビやステレオなどが「教養娯楽耐久財」として括られていたり、みかんと羊かんが「菓子果物」として括られていたことがあったりと、各時期における各品目への視点をうかがい知ることができる。
 ここで、「魚肉ソーセージ」の分類について、『東京都統計年鑑』に収録されている「東京都区部の主要品目小売価格」から時系列で確認すると、
(1) 1962年(昭和37)の指定当時は「肉類」として、牛・豚肉とともに分類されていたのが、
(2) 1966年(昭和41)に、「加工食品」に分類され、沢庵やさけ缶詰と並び、
(3) 1981年(昭和56)には「魚介類」となり、アジやサバと名を列ねて、
(4) 1995年(平成7)年に調査品目から外れる
という動きが見られる。
 中分類は時代とともに改変されるもので、この変化は「加工食品」という分類の設置と廃止を介した結果と言えるのだが、他の品目をみても、肉類から魚介類といった性質が大きく離れた分類を動いた製品は例を見ない。
 はじめ「肉」としての性質が着目された魚肉ソーセージは、その後、製造・利用方法から「加工食品」と認識され、そして原材料に立ち返って、「魚」由来の食品という点が注目された。あくまで行政による分類の変遷ではある。しかし「肉」→「加工食品」→「魚」という認識の変化は、消費者の側にもあったのではないだろうか。そしてその変化は、魚肉ソーセージという製品自体の変化にも原因があったのではないだろうか。
 
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マルハが大洋漁業時代に発売した魚肉ソーセージのラインナップ。実に様々なバリエーションが生み出された
肉の代用品からヘルシー食品へ 内容の変化とその理由
魚肉ハム・ソーセージが従来のカマボコと異なる点は、なんといっても食肉加工品である、「本家」のハム・ソーセージがあることである。初期の製品では、本家に似せる努力が払われた。そのために、
(1) 食感を深めるために豚などの食肉の脂肪
(2) つなぎ肉としてのすり身
(3) におい消しとしての香辛料が加えられ、肉に近い赤系が望まれたため、マグロ、カツオ、ブリ、サバ、サンマ、イワシなどの赤身の魚や、クジラなどが用いられ、着色や保存の処理がなされた。
 1953年(昭和28)以降、魚肉ソーセージの生産量が増大すると、原材料の確保にも努力が払われるようになった。60年に開発された冷凍すり身は、タラコの原料であるスケトウダラの身を材料にした食材で、それまでは魚粉にされ、食用にされることの少なかった素材の資源化をはかったものであった。65年にすり身工船による洋上生産が可能になると、さらに生産効率が上がり、初期の主原料であったマグロの価格上昇、国際捕鯨委員会による捕鯨の規制をかわす重要な材料となった。
 また容器には、加熱すると不透明になる「ライファン」に替わり、透明性を維持できる素材の塩化ビニデリン系の「クレハロン」が用いられるようになり、糸を手しばりしていたのが、アルミニウム環を使った機械での密閉作業にかわり、生産効率を上げた。そして、65年に防腐剤としてAF-2が許可され、保存性能が高まった。
 大量生産に対応して、材料、包装材、保存材を革新した魚肉ソーセージであるが、合理性の追求が価格競争につながり、結果として品質が低下するという状況に陥った。また、家庭における冷蔵庫の普及、コールドチェーン(低温流通体系)の整備によって、オリジナルともいえる食肉加工製品が普及し、その中に畜肉が主で魚肉が従のウイナーソーセージが出て低価格化するようになると、主要な食材とはいえなくなってきた。
 そして74年、発がん性、催奇性の疑いがあるとしてAF-2の使用が禁止されると、業界は大打撃を受けた。対応策として、
(1) 気密性を高めた容器を用い高温高圧殺菌するレトルト処理
(2) 製品のpHあるいは水分活性を調整する処理
(3) 10度以下で流通させる方法
の3点が検討されたが、多くのメーカーは新規に設備投資を行い、(1)のレトルト処理に方針を転換させた。
 さらに76年、アメリカとソ連(現・ロシア)などが、排他的経済水域を200カイリと宣言する「200カイリ問題」が浮上、クジラ類やマグロの漁獲が減少し、主な材料となっていたスケソウダラの価格が高騰し、逆境に更に追い討ちをかけた。その後、冷凍すり身の製造がグローバル化し、輸入冷凍すり身が投入され、価格は落ち着きを取り戻した。
 こうした歴史を経て、魚肉ソーセージは初期の本家の代用品として、マグロやクジラ肉の歯ごたえがある製品から、すり身が中心の肉の香りがするカマボコといったものに変化し、独特の風味を持つ食品として懐かしがられながら、徐々に衰退していく運命にあるかと思われた。
 しかし、86年に発見されたBSE(牛海綿状脳症)が影響すると見られている、変異型のクロイツエルト・ヤコブ病の患者が95年に現れると、食肉の危険性が問われるようになり、また、ヨーロッパなどで鮨やカマボコなど、わが国発祥の魚類加工製品が人気を得ると、魚肉ソーセージも、ヘルシーで安全な食品として注目されるようになり、2000年の5万9528t(トン)を底に、国内の生産量も持ち直してきている。
 近年では卵を不使用にしアレルギーに対応した製品や、DHAやカルシウムを入れて健康食をアピールした製品、更には野菜や果汁を含んだ製品や子供向けに「イチゴミルク」の味を加えた製品も出るなど、市場の雰囲気は賑やかである。また、昭和30年代から続くマスコットキャラクターを配した製品もいまだに健在である。
 
シーフードソーセージ(1988/日本水産)
1952年の「ツナソーセージ」の流れを汲む。業界初の合成添加物を使用しないヘルシーなソーセージとして話題を呼ぶ
おさかなのソーセージ(1998/日本水産)
「シーフードソーセージ」にさらなる改良を重ね、1998年に現在の「おさかなのソーセージ」になる。35グラム×4本袋(左)と90グラム×4本束(右)
 
15種類の野菜と3種類の果物入りのおさかなのソーセージ(2005/日本水産)
ヘルシー素材として見直される魚肉ソーセージ。2005年3月に「8種類の野菜と3種類の果物入り」として全国発売されるが、9月にはさらに野菜を増やしてリニューアル
いちごミルク(2005/日本水産)
イチゴ果汁と加糖練乳を添加した、その名の通りイチゴミルク味のソーセージ。「魚肉ソーセージ」という範疇を一気に拡大した
生活の中での位置づけと、そのイメージの形成
魚肉ソーセージは、日本人の生活にどのような影響を与えたのだろうか。
 その生活の中での位置づけは、コールドチェーンが未発達で、畜肉製品が高価だった時代に、「肉」の代用品としての役割を果し、その後、畜肉の補助的食材である手軽な「加工食品」として流通し、現在では「魚」由来のヘルシーな食品にという位置に変貌しつつある。
 その生活への影響は、「肉」の代用品としての時代には、食生活の洋風化の入り口として、「加工食品」の時代には、生活の合理化に組したものとして、そして現在では、「魚」由来の食品であるところの安全性や安心感、またはツナギで使われる栄養成分の効果が、「健康」に関するメディアとして、家庭に影響を与えた(ている)のではないだろうか。
 そして魚肉ソーセージに対するイメージのもたれ方は、その中でも、世代を問わず、おのおのの一時体験に左右されると思われる。特に「肉」との代用品としてこの食品に出会った方々は、どうしても模造品を食べさせられていたという感覚を覚えてしまい、強いイメージを持ってしまうのではなかろうか。それを悔しく思えば否定的に、懐かしく思えば肯定的に、という具合にである。
 筆者の魚肉ソーセージとの出会いは、郊外住宅地にとってつけたようなショッピングセンターにある、精肉店のショ―ケースにばら売りでささっていた、鮮やかな青色の包装材の、キャラクター製品とが最初のはずである。ねだって買ってもらい、歯で食いちぎって開けると、中からは肌色のつるつるしたソーセージが、ぶらんと出てきた覚えがある。
 その時、母が何を買ったのかは、当然記憶にないのだが、もしかして、魚肉がツナギになっているプレスハムやウインナーが入っていたのかもしれない。
文献
・大形進「簡便型加工食品としてのレトルト食品」(『フードシステム学全集 5 フードシステムと食品加工・流通技術の革新』 財団法人農林統計協会 2001年)
・清水亘『魚肉ソーセージ』 全国魚肉ソーセージ協会 1956年
・園田稔 衣巻豊輔編『新装版 魚肉ねり製品』 恒星社厚生閣 1981年
・東京都編『東京都統計年鑑』東京都 各年度版
・原田信男「魚肉ソーセージと日本の肉食文化」(園田英弘編『逆欠如の日本生活文化――日本にあるものは世界にあるか』思文閣出版 2005年)
・藤木正一「消費ニーズの変化と食品製造業の変化」(『フードシステム学全集 2 食生活の変化とフードシステム』 財団法人農林統計協会 2001年)
・「あぶないフィッシュソーセージ」(『暮しの手帖』74号 1964年)
・「ウインナソーセージの正体」(『暮しの手帖』第2世紀17号1972年)

 
協力:ほぼ日刊イトイ新聞  (http://www.1101.com/