第16回 
やっぱりお米が好き〜人造米と強化米〜
 
  第15回 
ボクちゃんにお金を貯めて 〜ソフトビニール製キャラクター景品貯金箱〜
 
  第14回 
黄金色に賭けた夢 〜「タカラビール」〜
 
  第13回 
オリンピックとプラスチック〜「ポリバケツ」
 
  第12回 
習慣と流行のはざまで〜電気掃除機の普及〜
 
  第11回 
「健康」という商品 ヨーグルトとミキサー
 
  第10回 
蚊取り線香〜ニッポンで生まれた生活の知恵
 
  第9回 
魚肉ソーセージものがたり
 
  第8回 
インスタントラーメン〜戦後生まれの「国民食」
 
  第7回 
ハーフサイズカメラ
ニッポンの写真文化を一気に拡げた小さな巨人
 
  第6回 
冷蔵庫の歴史から「ニッポンの食生活」の変貌が視えてくる
 
  第5回 
自動車王国ニッポンの“原点”
 
  第4回 
ロングセラー製品とリバイバル製品
「昭和」という時代を現代に伝える名品
 
  第3回 
冬のニッポンスタイル・コタツ
 
  第2回 
「花柄ブーム」の立役者・魔法瓶
 
  第1回 
昭和が生んだ娯楽の王様・テレビ
 
新田太郎 戦後ニッポン「ものづくり」流行史
 
第1回
昭和が生んだ娯楽の王様・テレビ
日本初のテレビ映画『月光仮面』の共同体験
 1953年(昭和28)2月1日、日本放送協会(NHK)東京テレビジョン局によってテレビ本放送が開始されて登場したテレビ受像機(以下「テレビ」と呼称する)は、半世紀を経た現在においても、日本人にとってもっとも親しみ深い情報メディアとしての位置を占めている。インターネット技術とその環境が普及していく近い将来においても、デジタル化によるインタラクティブ(情報の双方向)性の確保で、その地位はしばらく変わらないだろう。
 テレビははじめ、街頭に登場した。NHKに先立ち予備免許を取得し、同年8月に開局した日本テレビ放送網は、広告収入によって経営される民間の放送局であった。本放送当時、テレビは極めて高価であったため、一定の視聴者を得なければ経営が成り立たない。そこで同社は街頭にテレビを設置して、より多くの視聴者を得ようとしたのである。日比谷公園や新橋駅前など、都内の53カ所に設置された街頭テレビは、同社の思惑通り、大量の視聴者を動員することに成功した。当時VTRがなく、番組はほとんどが生放送であったため、番組の内容は、演劇、演芸やスポーツ番組といった劇場的なものが多くなった。結果、テレビのもつメディアとしての特性――音声と映像が組み合わさった情報を、発信元から離れた地域にも、共時的に伝達できるということを人々に知らせた。
  テレビはその後、飲食店などの集客装置として普及し、所得が右肩上がりに増加していくのに伴い、価格もこなれてきて、家庭に普及していった。生放送の番組だけではなく、55年ごろからは、アメリカの映画やドラマが放映され、58年には日本初のテレビ映画である『月光仮面』も登場し、劇場ではなくテレビでドラマを見るという行為が浸透していった。VTR技術の向上にともない、テレビは報道の分野にも進出を始めるが、特に59年の皇太子殿下と美智子妃殿下(今上天皇陛下、皇后陛下)のご成婚パレードの放映は、一般家庭へのテレビ普及を推し進めた事象として印象深い。こうしてテレビ番組を媒介とした情報の共同体験が、日本人の生活様式に定着していった。
道具を超えた「家具調テレビ」の出現
 テレビの普及にともない、機能やデザインも変化していった。初期には箱型のテレビを卓上に設置していたのが、別売りの専用の台に置き、お茶の間のコーナーに据えられるようになると、「コンソレット型」と呼ばれるねじ込み式の脚部を持つものが普及した。そして、生活の洋風化にともない、洋風の家具と調和する、木製のキャビネットに収められた「コンソール型」と呼ばれるテレビが上位機種として登場、そして東京オリンピック(1964年)後の買い替え需要に向けた商品として、「家具調テレビ」と呼ばれる独自のコンセプトを持つテレビが登場した。
 「家具調テレビ」とは、どういうものか、特徴を挙げると、木製のキャビネットに納められており、直線を基調とする造形で本体と脚部が一体化していて、天板が本体より張り出しており、そして和風の愛称が付けられているというもので、機能よりそのデザインを強調した広告がなされているものということができる。65年の松下電器産業の「嵯峨」を嚆矢として、「歓」(シャープ)、「金剛」(ゼネラル)、「桂」(三菱電機)、「王座」(東芝)など、ソニーを除く各メーカーは、こぞってこの分野に力を入れた。
 消費意欲を喚起するための工夫がなされた「家具調テレビ」は、白黒からカラーへの過渡期という時期に登場した商品であり、従来品よりかなり高額な価格設定がされているのにもかかわらず大衆の支持を受け、数多くの機種が出回り、ちょっとしたブームになった。格調の高さを謳ったテレビのデザインは、物品が単独の機能を果たす「道具」としてではなく、生活を取り巻く環境として取り扱われるようになったという、日本人の生活意識の変化を物語っている。
日本人の情報享受の変化とテレビの転化
 しかし、このブームは一時的なものであった。1970年代に入り、カラーテレビが普及すると、和風の名称に象徴されるようなコンセプトは影をひそめ、「パナカラー」(松下)、「ユニカラー」(東芝)、「キドカラー」(日立)といった、製品の機能を前面に押し出した商品が市場を席巻するようになる。また、家具調の外観も70年代後半に入ると、テレビ下部に収納スペースを設けた実用的なものとなり、ビデオデッキやテレビゲームが普及した80年代半ばからは、AV機器としての性格を強め、シルバーやブラックなどのブラスチック製のケースに収められるようになった。
 一方、 「家具調テレビ」が登場したころから普及してきた個人や小家族向けの小型テレビは、シルバーに直線を基調とする機能的な外観から、赤、青、緑の丸みを帯びたデザインといった遊び心のある色が出るようになった。しかしこの分野も70年代から、大型テレビ同様、シルバーやブラックなどのシンプルな外観のものが主流となっている。
 液晶やプラズマという薄型の機種が成長中の現在、画面の大きさと価格に市場の関心が向いているため、「家具調テレビ」のようにデザインに際立った特徴のある機種は少ない。テレビというメディアが、インテラクティブに進んでいくという状況を考えると、今後も機器のデザインが開発コンセプトの中心に据わる製品が大衆に支持されるようなことはなく、むしろ、コンピュータ機器と融合し、複合的な情報メディアに進んでいくだろう。
 半世紀余にわたるテレビ受像機の歴史は、日本人の情報享受の変化をよく表している。
 
(C) 2005-2011 Shogakukan Publishing Service / NetAdvance Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.
掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます