柏木博 NSデザイン・ミュージアム
 
第11回
工業製品としてのインスタント食品
プロダクトの種類と価値の違い
 クルマや家電のような工業製品の特徴は、同一型式の製品であれば、どこの工場で製造したものも原則として違いはない、その均質性によっている。それに対して、農産物や海産物は、生産地によって差異がある。また、そのことを価値としてきた。たとえば、新潟の米や羅臼(らうす)の昆布などである。また、葡萄や米を原料としたお酒は、地酒としてその地域の特性、そして生産された年の違いが反映される。フランスのワインなどは、生産地の葡萄畑の畝(うね)がひとつ違うだけで、その評価が大きく異なってくる。
食品の時間をコントロールする
 農産物や海産物などを原料とする食品もまた、工業製品と異なって均質ではないし、時間を経るにしたがって製品が劣化する。しかし、わたしたちの生活する産業社会では、農産物をはじめ食品もまた、工業製品のように均質的で扱いやすいものにしようとしてきた。食品に工業製品的な特性を持たせることで、長時間の輸送、店頭での陳列、また季節にかかわりなくつねに入手することなどを可能にしてきたのである。
 食品は、時間経過による劣化を克服することで、家電製品のように市場の中で自在に扱うことができる。いかに時間をコントロールできるかということが、食品を工業製品のように扱えるようにするための要点になる。さらに言えば、時間を自在に操作することこそが、近代の市場における価値につながってきた。通常よりも高速度でものを生産し調達すること。あるいは、通常よりも長く保存可能な状態にすること。それらはいずれも時間操作の問題である。食品の保存について言えば、古くから行なわれている方法としては、加熱や乾燥といった方法があり、これは、もちろん現在も行なわれている。そのほかに、塩を加えるという化学的方法もあるが、現在の保存用の薬品はさらに人工的な物質になっている。
 そして、家庭で日常的に使われているインスタント食品やレトルト食品、また冷凍食品を一気に解凍する電子レンジや、長時間保温を可能にした魔法瓶など、時間をコントロールする装置や道具は、食品の工業製品化とそれを消費する生活を支える現代的成果物としてある。時間をコントロールすることこそ、20世紀的技術のひとつの特徴だったとも言えるだろう。
初期のレトルト食品・缶詰
 歴史を振り返ってみると、食品の保存技術には、戦争という特殊な出来事の中で発達してきた面が少なからずある。たとえば、瓶詰や缶詰といった保存方法も、戦争とともに発達し広がったといって過言ではない。瓶詰めや缶詰は、レトルト食品(retort:食品を加圧釜に入れるという意味。日本語としては「容器包装加圧加熱殺菌食品」と訳されている)の原型的なものと言えるだろう。
 瓶に食品を入れ加熱し、密封する方法は、フランスのニコラ・アぺールが1804年に考案した。戦争時に軍隊で利用することを目的に、新鮮な食品を長期間保存する方法をナポレオンが懸賞募集させた結果、アぺールの提案がなされたと言われている。戦争時に新鮮な食物を摂取できるか否かは、兵士の体力と健康に決定的な影響を与えた。
 そして1810年、イギリスのピーター・デュラントがアぺールと同様の方法で缶詰をつくったといわれている。この缶詰は、海軍に配給用の食糧として調達された。アメリカには、1817年に食品の保存法として缶詰が紹介されたが、すぐには普及しなかった。実質的には、1861年の南北戦争で配給に使われるまで、アメリカでは缶詰はほとんど知られていなかったのである。こうした経緯からもわかるように、初期のレトルト食品は戦争によって開発・普及した。
 缶詰による食品保存は、食品保存法としてはすばらしいアイデアではあった。だからこそ、現在もこの方法が生き残っていると言えるだろう。しかし、缶詰が開発された当初は、缶詰を開けるのもかなり大変なことで、これまた工夫が必要だった。初期の缶詰開封の器具は、刃のないポンチのようなもので力任せに穴を開けるというものだった。危なっかしくも、缶切りと称することができるものは、缶詰の誕生からなんと48年後の、1858年のエズラ・J・ワーナーの発明を待たなくてはならなかったのである。そして、缶のリム部分に鋭利な車をあてて回しながら切っていく安全な缶切りは、アメリカの発明家ウイリアム・ライマンの発明によっており、1870年に特許がとられている。また、アメリカでは電気缶切りが1931年に登場している。
 結果的にみれば、加工食品を早い時期に発達させたのは、アメリカであった。たとえば、冷凍食のパイオニアであるクラレンス・バーズアイ社が冷凍食品のパテントをとったのは1925年である。そして、1934年までに、毎年約3,900万ポンドの冷凍食品が加工されたという。また、アメリカでは第二次大戦中にインスタント食品のアイデアがいくつも出てきた。そのインスタント食品にひとたび慣れ親しんでしまうと、なかなか戻れなくなってしまうのである。
工業製品としてのラーメン
 一方、日本でつくられたインスタント食品の中で、きわめて完成度が高いのはラーメンである。インスタント・ラーメンが出現したのは1958年のことだ。日清食品の「日清チキンラーメン」であった。当時の新聞広告には「調理不要。ラーメンの革命児」というキャッチフレーズがついている。また、「どんぶり鉢とお湯さえあれば美味しいラーメンの出来上がり」というコピーが書かれていた。
 最初のインスタント・ラーメンは味付きの乾燥麺で、麺を器に入れてお湯を注ぎ、「3分間待つだけ」というデザインだった。それまでラーメンは家庭でつくるものではなかった。インスタント・ラーメンの出現によってそれが家庭のものとなったのである。また、まさに工業製品の特性だが、基本的には誰がつくっても同じ味になる。こうした特性がおそらくこの製品を世の中に定着させた要因になっているのだろう。チキンラーメンが出現してしばらくすると、インスタント・ラーメンのメーカーが次々に出てきて300社を越えたという。

日清チキンラーメン(日清食品株式会社 1958)
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 その後、インスタント・ラーメンは麺とスープを分け、麺を鍋で煮るタイプのものが主流になる。しかし、乾燥麺タイプのデザインはその後、決定的なラーメンのデザインに結びついた。1971年に出された「日清カップヌードル」である。インスタント食品のデザインとしてカップヌードルが高い完成度を持っているのは、パッケージがそのまま、料理用の器であり、食器にもなっているという点である。

日清カップヌードル(日清食品株式会社 1971)
 他のインスタント的で工業的な食品としてはレトルトが挙げられるが、缶詰以外の形式のレトルト食品が日本で出てきたのは1960年代後半である。そのひとつは、冷凍食品だった。これは冷凍庫つき冷蔵庫の普及した1970年代頃からしだいに受け入れられるようになっていく。
 もうひとつ、冷凍ではなくプラスチックの真空パックに入れたレトルト食品(レトルトパウチと呼ばれている)の世界最初の製品はカレーであった。大塚食品の「ボンカレー」で、1968年に発売された。熱湯の中にプラスチックの袋に詰められたカレーを投げ込めばすぐにできあがる。現在、レトルト食品と呼ばれているものは、このレトルトパウチが主流になっている。
 電子レンジが出現するのも1960年代後半である。電子レンジでしかできない料理は存在しない。ところが、電子レンジは冷凍の解凍やレトルトの加熱に最も適していることが、登場してしばらくしてからわかった。冷凍レトルト食品の普及は電子レンジの普及とかかわっていたと言えるだろう。
(「工業製品としてのインスタント食品」終わり)