柏木博 NSデザイン・ミュージアム
 
第10回
テープレコーダー(2)− 再生される音
マニア化するレコーダー
 AppleのiPodに代表されるような超小型・高音質ヘッドフォン・ステレオへの流れは、ソニーのウォークマンから始まる。それは、ヘッドフォンであるがゆえに、音を身体に浸透させるという現象を引き起こし、それまでの音響体験を大きく変化させた。そのウォークマンの出現は、振り返ってみれば、やはりテープレコーダーの進化としてあったと言えよう。
 1950年代に普及したテープレコーダーは、アンプとスピーカーを内蔵した装置だったので、記録した音は、そのまま再生して聞くことができた。前回ふれたように、1956年、東京電気音響(ティアック)が3ヘッドのステレオデッキ「TD-101」を試作品として発表し、翌年に発売した。その際、テープレコーダーとは呼ばずに「テープ・デッキ」と呼んだ。
 テープを駆動する「テープ・トランスポート・メカニズム」(テープトランスポート)と録音・再生用プリアンプを残して、パワー・アンプとスピーカーを外した装置をテープ・デッキ(tape deck)と呼ぶようになったのである。
 つまり、テープ・デッキで音を再生するには、パワー・アンプとスピーカーを別に用意しなければならない。テープ・デッキのユーザーは、それを音響装置のエレメントとして使った。テープレコーダーは、「記録装置」としてだけではなく「音響装置」への方向性を持ち始めたのである。オープンリール式のデッキはたちまち多様なものとなっていく。
 録音・再生のヘッドは2ヘッドから3ヘッドへ、やがて4、そして6ヘッドのものまで登場する。トラックも1トラック・1チャンネルからはじまり、8トラック・4チャンネルまで出現した。また、テープの速度は、19cm/sec、そしてその4倍の記録容量の9.5cm/secがつくられるが、一方では高質な音(Hi-Fi)の再現を目的にいわばプロ用38cm/secが出現する。ただし、これは普及することはなかった。
 このように多様なデッキが登場したが、一般的には4トラック・2チャンネル、そして19cm/secが受け入れられた 。1961年あたりから、2トラックのステレオから4トラックのステレオへと流れが変化しはじめた。その結果、テープ・デッキも4トラックが一般的になったと言える。
 オープンリールのテープレコーダーは、テープの位置は上面とした。それに対して、デッキになると、テープを前面の位置に置くようにレイアウトされるようになった。つまり、テープレコーダーを立てて使うような感じにデザインされたのである
 オーディオ評論家の長岡鉄男は面白いエピソードを紹介している(『長岡鉄男のオーディオ史』音楽の友社)。音響マニアは、2トラック・2チャンネルの38cmを好み、通称「ツートラサンパチ」と呼んだのだという。20〜30キロもの重さのこの装置を抱えてメーカーが主催する「生録会」に参加し、音を録ったのだという。
 こうしたエピソードからもわかるのだが、音響マニアはかならずしも音楽マニアではないということだ。音響マニアはデッキを持ってSLの音や鳥の鳴き声、涼しげなせせらぎの音などを「生録」した。そして、その音が、いかに高品位に録音・再生されるかにこだわったのである。
オープンリールからカセットへ
 テープ・デッキは「生録」の音響マニアとは異なる音楽マニアによって、その存在を確実なものとした。音楽マニアが、ディスク・プレイヤーとともにテープを使ったのは、ディスクよりも手間がかからなかったからだろう。ディスク・レコードからテープにコピーをとれば、ディスクのように神経を使いながら扱う必要がなくなる。また、ラジオのFM放送が高質な音を提供するようになり、それを録音(当時は、エアチェックと言った。現在ではダウンロードという言い方になる)して楽しむことが行われた。
 また、音楽を楽しむ人々は、音質に問題がなく機能性が高ければ使い勝手の良い装置を導入することになる。その結果、1960年代後半からカセットが普及する。オープンリールはごくかぎられたマニア向けの装置としてしだいに消えていくことになった。
 カセットはアメリカのRCAによって1958年に開発されたものが原型になっているといわれているが、それを実用化し小型化したのはオランダのフィリップスである。テープは往復60分のものがつくられた。また、オープンリールのテープとは異なり、モノ・トラックとステレオ・トラックが重なるようにつくられており、ステレオ用のテープでもモノのレコーダーで使えるという特徴がある。フィリップスは、1962年、コンパクト・カセットC-60とレコーダーEL3300をヨーロッパに限定して発売した。
 フィリップスのカセットは縦102mm・横64mm、厚み9mmであったが、それとは別に、RCAのカセットをベースに小型化が行われ、ドイツでDC(ダブルカセット)インターナショナルが、翌1963年につくられた。大きさは120×76×11mm。フィリップスのものより少し大きかった。DC方式とフィリップス方式とは互換性がなく、どちらが主流になるかが問題となった。フォルクスワーゲンなどドイツの自動車会社は、カー・オーディオ用にDC方式を導入した。
 こうした事態を背景に、フィリップスは、カセットの特許を無償公開することにした。これが契機となり、日本では、主要メーカーがフィリップ方式を採用することとなった。また、TDK、日立マクセル、ソニー、松下電器はカセット製造権の許可を取得した。
 個人的体験になるが、カセット・レコーダーの音を最初に耳にしたのは、東京のデパートであった。こんなに小さな装置とテープから音が出るのかと驚いた。デパートでデモンストレーションをしていたのである。それがどこのデパートだったのか記憶にない。調べてみると、フィリプスEL3301が最初に日本で登場したのは、1965年のことで、三越デパートで発売されたとされているので、三越で見たのだろう。
 フィリップスのカセット・レコーダーEL3300は、長方形の箱形で、上面のプラスティックの蓋が跳ね上げになり、カセットを収納するもので、このデザインが各社のカセット・レコーダーのプロトタイプとされたのではないかと思われる。実際、松下電器は1966年にフィリップスをモデルにして国産化を手がけている。
 最初の国産品は1966年に実現したアイワのTP707Pで、全体のレイアウトは、フィリップスEL3310同様、長方形の長辺を手前にしている。同年、ソニーがTC-100を発売する。こちらは、フィリプスのEL3300と同様、短辺の方を手前にしたレイアウトになっている。翌1967年には、三洋電機がMR-480を発売しており、これも短辺を手前にしたレイアウトとなっている。いずれにしても、フィリップスが原型になっていることを思わせる。

TC-100(ソニー株式会社 1966)

MR-480(三洋電機株式会社 1967)
(※画像をクリックするとメイド・イン・ジャパン データベースを起動します)
街中で、頭蓋に響く音を
 カセット・レコーダーは、ふたつの方向に向かうことになる。ひとつは、さらに小型化するという流れだ。この流れは、1969年にオリンパス光学工業から出されたズイコーパールコーダーに代表される。ここで提唱されたマイクロカセットのサイズは、従来のカセットの半分である。再生時間は往復で60分と120分。デザインは、レコーダー、スピーカー、バッテリーを横に連続させたレイアウトであった。この小型化の流れは、現在のICレコーダーへとつながっている。

ズイコーパールコーダー(オリンパス光学工業株式会社 1969)
 そして、もう一つの流れは、高音質化である。1967年、フィリップスはステレオ・カセット・レコーダーEL-3312を発売する。これは、デッキとして使うことができるように設計されていた。1969年には、日本のティアックがカセット・デッキA-20を発売し、以後カセット・デッキが、テープ・デッキの主流をつくっていくことになる。
 そして、小型化と高音質というふたつの流れをいわばひとつにしたのが、1979年に登場したソニーのTPS-L2、「ウォークマン」であった。いわゆるヘッドフォン・ステレオだ。デザインは1968年にソニーが出したTC-50(製品名「マガジンマチックIC50」)を思わせるものとなっている。初代ウォークマンは、再生専用機であった。このヘッドフォン・ステレオの出現は、きわめて画期的であった。もちろん、トランジスタラジオを屋外で聞くという体験は、1950年代からあったわけだが、高音質のステレオで音楽を屋外で聞くという体験は、いままでにないものであった。

TC-50「マガジンマチックIC50」
(ソニー株式会社 1968)

TPS-L2「ウォークマン」
(ソニー株式会社 1979)
 ステレオの音を聞きながら都市を歩くことは、都市風景をそれまでとは異なったもののように感じさせた。また、混雑する公共交通機関の中にあって、ユーザーを音のバリアの中へ逃げ込ませることができた。そして何よりも、ヘッドフォンからの音は、身体の一部である頭蓋を共鳴器にしてしまい、音を振動として体験させたのである。そして、振動としての音にもっとも効果的なジャンルがロックであった。ヘッドフォン・ステレオによって、ロックの聴き方までが新しいものになったと言える。
 冒頭にふれたように、いまやテープを使わないヘッドフォン・ステレオが主流になりつつあるが、それらもまた、テープレコーダーがなければ生まれなかったのではないだろう
(「テープレコーダー」終わり)
引用参考文献
長岡鉄男『長岡鉄男のオーディオ史1950〜82』音楽之友社、1994年
日本オーディオ協会『オーディオ50年史』1986年