柏木博 NSデザイン・ミュージアム
 
第9回
テープレコーダー(1)− 記録される音
テープレコーダー体験
 個人的な体験なのだけれど、わたしがはじめてテープレコーダーを手に入れたのは中学生の頃だった。1959年頃、いまからほぼ50年近く前のことである。東芝製だった。本体にハンドルがついていて、たしかに持つことはできたが、ポータブルとは名ばかりで、かなりの重量があり、あちこち持ち歩けるような代物ではなかった。もちろん、自前で買えるわけもなく、親にねだって買ってもらったのである。透明プラスティック製のオープンリールに巻かれたチョコレート色の磁器テープに録音するというものだった。
 当然のことながら、まずは自分の声を録音して聞いてみる。そのスピーカーから再生された自分の声に愕然(がくぜん)とした。どう考えても自分の声とはとうてい思えない。こうした印象は、録音機器を使った時の、きわめて当たり前なことであるとともに、決定的に重要な意味を持っている。このことについては、後で検討することにしたい。
 話を戻すと、日本では1960年頃からテープレコーダーが家庭に入り込み、普及しはじめたということだ。実際、東芝が「GT-31形」という一般家庭向けに低価格の普及型の第一号機を発売したのは、1959年のことである。3号オープンリールを使って小型化したデザインであった。また、ボタンをプッシュ式にしたことも特徴的であった。
 わたしがはじめて手に入れたテープレコーダーは、この型式ではなかった。プッシュボタンではなく、ダイヤル式操作のデザインであった。また、スピーカーの位置は、デッキの全面にレイアウトされ、1956年に発売された日本ビクターの「TR-100」にちかいデザインであったと記憶している。

GT-31形(東京芝浦電気株式会社 1959)

TR-100(日本ビクター株式会社 1956)
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テープレコーダー前史
 磁気録音に関する研究は、思いのほか古く、1880年代初頭からベル研究所などが手がけ始めたとされている。
 磁気レコーダーの開発者として今日知られているのは、デンマークのヴァンデルマール・ポールセン(Valdemar Poulsen 1869-1942)である。彼は1898年に、磁気テープのかわりに鋼線を使ってレコーダー「テレグラフォン Telegraphon」の特許を申請した。実用的なものは、1930年代にドイツのテレフンケン社とローレンツ社で開発されたレコーダーで、鋼線と鋼帯に録音再生するというものであった。これはNHKでも使われた。その後1935年に、ドイツの電気メーカーAEGがプラスティックによる磁気テープを使う「マグネットフォン Magnetophon」を開発した。同じ頃、イギリスのBBCでは「マルコニー・スティーレ鋼帯式録音機」を使い始めた。この装置の鋼帯は、幅3mm、厚さ0.08mm、長さ3000mのタングステン鋼によっており、直径60cmのリールに巻き取っていた。この装置の総重量は、なんと1トンにもなったという。
 日本でも1933年頃から東北大学などで磁気録音の研究が行われており、1935年に安立電気や日本電気で軍事用の鋼帯式の装置がつくられた。
 第二次大戦後、テープレコーダーはアメリカで急速に発展することになる。アメリカがモデルとしたのは、ドイツの「マグネットフォン」だった。A・ポニアトフが経営していた小さなメーカー「アンペックス社」が1946年に「モデル200」を製造しはじめた。3M社が開発した紙製のテープにマグネタイトを塗った「Scotch No.100」を使った。その後すぐにデュポン社がプラスティックによる磁気テープ「No.110」を開発する。
 そして1948年、CBSコロンビアがLPレコードを発売する。このレコードのマスターテープには、アンペックス社の「モデル300」が使われた。おもしろいことに、再生メディアに関して言えば、LPからLDにいたるまでユーザーの方ではもっぱらディスクであるが、そのマスターはすべてテープである。ユーザーにとっては、ディスクの方が操作も簡便であり、録音部分全体を目でも確認することができるので、使い勝手がよかったということなのだろう。
多様性の芽生え
  テープレコーダーが家庭に普及しはじめたのは1960年頃のことだと述べたが、日本で装置がつくられたのは、それより10年ほど前の1950年のことだ。東京通信工業(現・ソニー)が完成した「G型」がその一号機である。「G型」のGは「ガバメント・ユース」を意味している。全体の印象は、通信機器のようなデザインである。上面にオープンリールをセットし、前面にダイヤル式のボタンとメーター、そしてスピーカーをレイアウトしたデザインになっている。テープはプラスティック・ベースではなく和紙を使っている。このガバメント・ユースのテープレコーダーは、最高裁判所に納入された。国家公務員の初任給が5千円足らずの時代に、その価格は16万円であったという。
 1951年に東京通信工業は「H-1」(ホーム・ユース)を発売した。したがって、日本での家庭用のテープレコーダーの原型は、このあたりからはじまるとみていいだろう。また、1950年代には次々と新しい装置が開発された。
 例えば、同じ1951年に東京通信工業は、「M-1」を発売している。これは、携帯用ショルダー型のデザインになっており、ゼンマイ式の駆動になっている。放送用の街頭録音に使われた。いわゆる「デンスケ」と呼ばれる装置で、毎日新聞に掲載されていた横山隆一の漫画「デンスケ」に登場したことから、そのようなニックネームで呼ばれるようになったと言われる。
 価格として画期的であったのは、赤井電機(通称・アカイ:当時)の「AT-1」だ。この装置は1954年にキットとして発売され、なんと9,800円だった。1956年にアカイは「テレコーダー900」を発売し、「テレコーダー」が商品名となった。ソニーは「テープコーダー」を商品名として登録することになる。
 さらにソニーは市販用としてステレオ・レコーダーを1955年に発売する。「TC-551」「TC-552」「TC-553」の3機種である。また、1956年、東京電気音響(現・ティアック)が3ヘッドのステレオデッキ「TD-101」を試作品として発表し、「TEAC」という名称を使うようになる。ティアックは「TD-102」を輸出向けとして開発し、1959年に「505R」を国内向けに発売した。
 このように見てくると、日本のテープレコーダーは、1950年代にその方向性がほぼ出現したと言ってもいいだろう。つまり、小型携帯用、オーディオマニア向けの装置、日常的な使用など目的別のデザインのバリエーションが出揃ったということである。

「テープコーダーG型」(東京通信工業株式会社 1950)

「M-1」(東京通信工業株式会社 1951)
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居心地の悪い声
 その後のテープレコーダーの変化の流れは、次回に譲りたい。ここでは、テープレコーダーという装置が、わたしたちに与えた文化的な現象に目を向けておこう。冒頭でふれたように、テープレコーダーをはじめて手にしたわたしたちは、まず自分の声を録音し、その再生された声に居心地の悪さを感じたはずだ。それは、わたしたちの自己意識に深く関わっている。こうした現象に関して、フリードリヒ・キットラーは『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(筑摩書房 1999)の中で、それがわたしたちのいわゆる「ナルシシズム」に関わっているのだと指摘している。
 わたしたちの声は、咽頭から耳骨の回路を通って自身の耳に伝わる。その声を、自身の声として認識してきたわたしたちにとって、自身の声は、いわば自分の中でつくられたイマジネールな声としてある。自己の頭蓋に共鳴する声は、わたしたちにイマジネールな自己像を与えてきた。いわばナルシシズムである。しかし、普段は、それが自己の中でつくられたイマジネールな自己の声であることに気づかない。ところが、耳骨の回路を介さないテープレコーダーの声こそが、音色が異なって聞こえるにもかかわらず、他者が耳にしている自己の声なのである。声のレコーダー(記録装置)は、イマジネールな自己像を抹殺してしまうのだとキットラーは指摘する。
 わたしたちは、テープレコーダーによって、はじめてイマジネールな自己の声とは異なる「自己の声」を耳にするようになったのだ。それが居心地の悪さを生んだのである。
(次回へ続く)