柏木博 NSデザイン・ミュージアム
 
第3回
洗濯とそれを取りまくデザイン
洗濯方法とファッションデザイン
 現在のわたしたちの洗濯方法について考えてみよう。セーターや背広などは、家で洗濯するとなるとかなり手間のかかる衣類である。だから、そうした衣類の多くは、クリーニング店にまかせてしまう。すると、家での洗濯は当然のことながら、ほとんどが洗濯機(電気洗濯機)でできるものだけになる。つまり衣類の分類に関して言えば、わたしたちは、洗濯機すなわち家で洗えるものと、専門店にまかせなければならないものという、大きくふたつの分類の仕方をしているのではないか。そして、こうした分類の仕方は、洗濯機が出現してきてからのことなのではないだろうか。
 また、現在の衣類の多くには、「ドライ」「手洗い」など洗濯方法の表示が絵記号(ピクトグラム)でついており、洗濯機が使えないことを明示している。これは反面、それ以外は洗濯機で洗えるということである。つまり、洗濯機の普及は、家事労働の中でも最も労力を要する洗濯作業を飛躍的に軽減するとともに、洗濯機で洗える素材による衣服の開発やデザインをうながしたといえるだろう。
 洗濯機の普及は、まさに家事労働の機械化が広がった20世紀という時代を象徴的に反映している。と同時に、20世紀の衣服の変化に少なからず関わっているともいえるだろう。つまり、化学繊維による衣服の開発とともに、洗濯機で洗えるカジュアルウエア(この言葉は、和製英語であるが、ともあれ衣服のデザインを示している)の一般化という現象を生んだのである。
教科書にみる日本の洗濯
 明治以降の日本での洗濯はどうだったのか。洋服と和服(洗濯方法は、「洗い張り」)が混在していた時代にあっては、洗濯事情は、思いのほか、複雑であった。とりわけ、両世界大戦間の時代頃から、「衛生」あるいは「清潔」という観念と結びついて、複雑な手順や方法が語られている。この時代は、伝統的な洗濯の方法と新しい方法の両方が行われた時代であった。
 たとえば、昭和初期の女学生向けの教科書を見ると、洗濯をするための準備について次のように記述している。
 「洗濯をするには先づ洗濯物の地質・染色・用途等によって分類し、汚れの箇所をしらべ、破れや綻(ほころび)は繕(つくろ)ひ、袂(たもと)・かくし等の塵(ちり)を払ひ、他に浸みつき易い汚点は予め取り除き、且つ用水・用具・用剤を整へてから始めなければならぬ」(『信濃教育会編 家事学習帳』信濃毎日新聞社、初版1927年、再改定版1933年、引用は再改訂版)
 また、洗濯の方法についても、「浸し洗ひ」「煮洗ひ」などいくつかの方法を説明している。ちなみに、「浸し洗ひ」の項目を見ると、「予洗」「本洗」「濯ぎ方」と手順を細かく指示している。エプロンを例にとって「本洗」の仕方は次のように書かれている。
 「温湯一立(リットル)に対し炭酸曹達(ソーダ)二〜四瓦(グラム)、粉末石鹸四〜八瓦の割合で、エプロンのたっぷり浸される量だけ洗濯液を作り、其の中にて洗濯板を用ひてころがしつ、洗ふ。特に汚れの落ちない処は揉み洗ひ又は刷毛洗ひをする」
 エプロンのような仕立ての単純なものを洗うにも、これだけ神経を使って洗ったのだろうか、と何だか不思議な印象を受ける。
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『信濃教育会編 家事学習帳』(信濃毎日新聞社 初版1927年、再改定版1933年より)
・モスリン帯の刷毛洗いが紹介されている
・左ページ上に挙げられている「準備品」に注目
・『家事学習帳』なので、冒頭に問題が載せられている
 この教科書より少し以前に刊行された『家事新教科書』(集成堂、初版1916年、改訂11版1936年。手元にあるのはこの改訂36年版)を見ても、やはり、洗濯の項目には、複雑な手順や方法が記述されている。
 さらに、『家事新教科書』では、なぜ洗濯が必要なのかが説明されている。そうした説明を逆に読めば、それまで、洗濯をさほど頻繁にしていなかったということではないか。その説明には、洗濯によって「清潔」にすることの衛生的、経済的価値観が反映されている。20世紀は、かつてなかったほどに「清潔」さに対する価値観を強めた時代であった。その価値観が最も早くそして強く現れたのはアメリカであったが、日本でもこれらの教科書が刊行された時代に、そうした価値観が強調されるようになったのだろう。
 他方、第二次世界大戦後も、上水などの川で洗濯している場面が写真に残されているのだから、実際には、こうした教科書に記述されているような手順や方法だけでなく、もっと簡易的に洗濯が行われていたともいえるだろう。
 面白いことに、『家事新教科書』には、機械式の洗濯が図版で紹介されている。「電動式家庭用洗濯機械」として「EDEN」の洗濯機、そして手動式の洗濯機が紹介されている。しかし、どちらも図版だけで、その使い方などに関する文章による説明は一切ない。
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『家事新教科書』(集成堂、初版1916年、改訂11版1936年より)
・左ページ上段に、EDENの「電動式家庭用洗濯機械」と手動式の洗濯機の図版が載っている
・右ページでは、白地絹織物の刷毛洗いが紹介されている
電気洗濯機の導入
 日本で電気洗濯機が導入されはじめたのも、ちょうど「清潔」さへの価値観が強化されていった両世界大戦間の時代である。最初に導入されたのはアメリカ型の洗濯機で、アメリカのソール社から日本に第一号機が輸入されたのは1922(大正11)年のことである。
 ちなみに、翌年の雑誌『教育画報』(6月号、同文館、1923年)には、「家庭の電化」という記事が掲載され、「自動電気洗濯機」についての紹介がなされている。「之は女中の手をかりないで電気によりまして汚れたものの洗濯をするものでありまして、……その其桶の大きさは一度にシーツ八枚迄入れる事が出来、之れを洗濯に要する時間は約三十分位で、其の電気料は僅か一銭位のものであります」
 シーツ八枚が入るというのかなり大容量の洗濯機だ。所用時間が30分というのも、現在の洗濯機の性能から考えるとかなり長時間である。
 ソール社の洗濯機を最初に輸入したのは三井物産であった。その後、東京電気(現在の東芝)がこれをひき続き輸入販売することになった。その後、東京電気は1930年、ソール社の技術を導入して国産一号機を製作し「SOLAR」の商標で販売した。このデザインは、桶に四本の脚を付けた形状のものになっている。この形は、すでに前回ふれた、19世紀の半ば過ぎにアメリカで考案された手動式洗濯機の基本的デザインを踏襲している。ともあれ、この国産の洗濯機は、その後の11年間で販売した台数が、なんとわずかに5,000台でしかなかったという。「SOLAR」の生産は1950年まで行われた。
 日本で洗濯機が普及しはじめるのは、1950年代後半から60年代にかけてのことだ。そして、洗濯機は、桶形(丸形)から角形へと変更されることになる。
 そして、洗濯機の普及は、川での洗濯でもなく、井戸での洗濯でもなく、水道というインフラの整備が前提であった。
 1950年代の電気洗濯機
丸形攪拌式(松下電器産業株式会社1951) (株式会社東芝1953)
(三洋電機株式会社1953) 角形噴流式(松下電器産業株式会社1954)
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洗剤と洗濯機
 今日、洗濯物は、洗浄液の差異によって、洗濯法を分類している。乾式というのは、今日「ドライクリーニング」と呼んでいるものである。ここで注意しなければならないのは、どれほど機能性の高い洗濯機を使うにしても、洗濯機だけでは洗濯ができないという事実を忘れがちなことだ。洗濯をするためには、洗浄液が必要である。ひとことで言えば、洗剤が必要だということだ。この洗剤とは何かということに関しては、チャールズ・パナティが『日常的な事の驚くべき起源』(Charles Panati, “PANATI'S EXTRAORDINARY ORIGINS OF EVERYDAY THINGS”, Harper & Row, 1987)の中で的確な説明をしている。「あらゆる洗剤(ディタージェント)は石鹸(ソープ)である。しかしすべての石鹸が洗剤というわけではない」というのである。つまり、石鹸で髪を洗うことを想起すればいいというのである。たしかに、わたしたちは、シャンプーで身体を洗わないし、洗剤で髪を洗わない。
 洗剤の開発が実のところ現代的な洗濯方法を実現しているのだと言うべきなのである。すでに見てきたように、洗濯の機械化は、電気洗濯機で完成されるわけだが、電気洗濯機があっても、洗剤がなければ現代的な意味での洗濯は不可能である。自動車があっても、ガソリンがなければ自動車が使えないことと似ている。
 戦後、わたしたちの洗濯の方式は洗濯機と中性洗剤を使った方式に一元化された。それは、わたしたちの衣服のデザイン、そして素材が、一方で洗濯機向けのものに集約され、他方ではドライクリーニングを代表とする家庭外の洗濯に振り分けられたことを意味している。この洗濯の方式に変化が起こらないのは、「近代の洗濯」あるいは「近代の衛生観念」が固定したことを示しているのだろう。したがって、そうした観念の上に成り立つ洗濯方法を行っているかぎり、洗剤と洗濯機の組み合わせはなかなか排除できないのではないだろうか。
 初期の衣料用洗剤
花王粉せんたく(花王株式会社1951) ハイトップ(ライオン株式会社1962)
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 さて、これまで洗濯機(またそのデザインの基本形態)について見てきたが、それは、化学繊維の普及、あるいは洗濯機で洗える衣服のデザイン、そして水道というインフラ、さらには洗剤の開発とつながっている。ひとつの装置や道具、そしてそれらのデザインは、それ自体で完結するのではなく、それをとりまく多様なもののデザインと大きく関わっているのである。